JORGE JOESTAR

 ※ネタバレを含むと思いますので注意です

「確かに僕はもっとちゃんとしなきゃいけない」と僕は僕自身に言う。ぐんぐん僕の脳に血が巡り直してくる。「僕はジョージ・ジョースター。名探偵ジョジョだ」

 舞城王太郎JORGE JOESTAR」を読み終わりました。実は4日前の15日に店頭でゲットしてから当日中に読んでしまっていたんですが、やはり九十九十九の出る話はこの日に感想を書くしかないだろうと思って今日を待っていました(さらに言うと、この時間も待っていました。午前ではないのが残念ですが)。
 この一連のジョジョのノベライズ企画の第3弾が舞城だときいてから、ひいてはその題材がジョージ・ジョースターⅡ世だということをきいてから、発売されるのをもうずっと楽しみにしていました。どんな話で来るのか全く検討がつかなくて、でも何となくジョセフ調の口調のジョージ・ジョースターが1部2部の要素を持ったオカルト的見立て殺人を解決しながら、最期は原作に繋がる終わり方で奇麗に終わってくれるんじゃないかな、と思っていたんですが、全く見通しが甘かったとしか言いようがありません。ネタバレ注意とは置いたものの、そもそも内容を語ってもウソバレにしか思われないのではないかといういらん心配をしてしまうほどにはっちゃけた話でした。
 そもそも題材が2部に限ってはいないです。8部以外全ての部の要素が絡みますし、そのキャラクター達も出ます。宇宙が一巡どころか三十六巡したという設定の舞台においては固有名詞が同じだけで性格は全くといっていいくらいに違うし、使っているスタンドもなんとなく似通っているだけで違うものですが、それでも出るには出ます。んで舞城節で戦います。誰がどう戦うかというと、強さ議論スレも真っ青のスタンドを学んだ究極生命体カーズvs究極生命体ディオ&ファニー・ヴァレンタインとファニアー・ヴァレンタインとザ・ファニエスト・ヴァレンタイン大統領とか、バイツァダスト吉良vsディアボロとか、プッチとカーズとディオとが一堂に会するとか、もう信じられない展開が舞城展開でぐるんぐるん進行します。後半になるとザ・ワールド・アルティメット・レクイエムという名詞が普通に飛び出たりもします。なんだかもう笑いが止まらないですね。
 それでいて怖いのは、そんな夢バトルを繰り広げながらも、話の主軸は、舞城版ジョージ・ジョースターというか、2012年を生きる日本人ジョージ・ジョースターが探偵として立ち回るストーリーであることで、だからこそ、今作を代表するパッセージを抜き出すとするならば、上に引用したものが最も適しているように思います。体系的にストーリーを解説できる気はしませんが、それでも無理矢理まとめると、彼(=舞城版ジョージ・ジョースター)がまわりの人のスタンドの力で時空移動や世界移動や宇宙巡回を果たしながらも推理を進めていく話、ということになります。そして、殆ど登場しませんが舞城の探偵キャラたちも登場するにはしますし、ジョジョ的要素と舞城的要素のブレンド具合はまさしくハーフ&ハーフと言っていいように思えます。ジョジョのキャラクターがごったがえす「ディスコ探偵水曜日(下)」といえば、舞城ファンには伝わりやすいでしょうかね
 で、中身はともかく、今回思ったのは、これ、舞城王太郎を既に知っているならともかく、ジョジョのスピンオフとして読みたい人にとっては、まぁ割と最悪なんじゃないかなぁということで、それについてが最も気がかりです。おれが発売前に期待していたような舞城的要素が文体と見立て殺人などのあくまでも「模様」以外には無い、くらいであったなら、まぁ舞城を知らない人でもいけるだろうと考えていたのに、全くそういうことを考慮しないで繰り出された今回のノベライズには、些か呆れにも似た感を覚えました。どちらかというと、「舞城は知っているけどジョジョは知らない」人の方がまだ理解できるんじゃないかとまで思います。
 とはいえ、そう書きながらも、こういう作風を貫く姿勢こそが舞城なんだろうなぁとも思って、感心していたりもします。さすが清涼院流水のスピンオフという体であの「九十九十九」を創っただけはあります。読んでいて、こうしなきゃ書けない、のではなく、故意にこうしたのだというのがありありと伝わってきました。というのも、舞城は、書こうと思えばジョジョ的要素にのみ留めた話を創ることも全くできたんだろうという確信があるからです。実際に読んでもらえればわかると思いますが、1900年代(=原作ジョージ・ジョースター)の視点から繰り広げられる話の前半〜中盤は、誰がなんといおうが、今までのジョジョのノベライズと比べ物にならないほど精錬されたジョジョのスピンオフで成り立っているからです。もちろん九十九十九はその時点でも出てしまっているんですが、それを差し引いても、第1部完結後エリナが救出されるまでを描写した第5章「箱」には、この作家の底知れぬ天才を感じました。パラレルワールドというか、まさしくサブ的なスピンオフとしてジョジョの小説を読むのに、これだけ適した話があるかなと疑問に思うくらいでした。他を貶めて褒めようとするわけではないんですが、実際のところ、奇麗にまとまっているだけで特段面白味のなかった第1弾「恥知らずのパープルヘイズ」、失笑に伏すしかなかった第2弾「OVER HEAVEN」とは、一線も二線も画した出来だったように感じました。
 しかし後半の展開の評価が人に寄るというのはよくわかります。終盤は、これで夢オチに近い感じで原作に繋げられたらそれが一番いいんだけど…と思いながらページをめくっていたんですが、原作クラッシャーといわれても仕方が無いだろう幕引きには流石に唸りました。原作ジョージ・ジョースターは死んだわけではないし、概ねのことを理解しているという設定だとすると2部のリサリサも緊張感が無いし、そもそもジョナサン生き返っちゃってるし! で、じゃあどーすんだべ、と。いや、どーすんだべもなにも、どーしようもないんですが
 でもこういう展開を否定しきれるのか? というとそれも疑問です。というのも、ジョジョの奇妙な冒険という話自体が確かにこういうスケールの話になってしまっているからです。キャラの崩壊した5部キャラが騒ぐのも、時空を超えて部と部が繋がってしまうのも、宇宙を巡回させるメイド・イン・ヘブンと少し違う隣の世界へ行き来できるD4Cとのふたつのスタンドや、バイツァダストを使った時間逆行での運命の変更能力、さらには<天国に行く方法>云々の多少歪曲した物の見方があれば、実際に成り立ち得るだろうとも思うからです。1部2部にスポットライトを当てて壮大なスケールの話にしてしまっているから奇妙なだけで、ジョジョ全体として見回したら、そこまでぶっ飛んだ設定ではないんですね。だって一応全部原作のスタンド能力で行われていることだし。もちろん二次創作ですから憶測やトンデモ展開も混ざってはいるんですが。でも土台は全て原作出典です。
 正直をいうなら、自分も、2部の舞台だけで、いつもの笑わせてくれる見立て殺人と波紋とで、奇麗な舞城版ジョジョっていうのが読みたかったですし、もしそれが実現していたら、今回の「JORGE JOESTAR」よりずっとよかったんだろうなぁとも思います。でも舞城は「荒木飛呂彦先生へ」捧ぐ話をこう書きたかったみたいですし、舞城好きの自分としては決してつまらないことはなかったですから、これでいいんだろうなぁとも思っています。もちろん荒木飛呂彦先生ではないし舞城も特に好きではない人々からの評価はすごい低いんでしょうけどね。あとでレビュー観てみます

JORGE JOESTAR

JORGE JOESTAR

 ところで、この小説はひとつの弊害を残して生きました。もう、カーズのことを先輩付けずに呼べる気がしません… ていうか、ジョジョを読み返しても、カーズを悪役に思えないようになった気がするんですが… 舞ジョジョのカーズ先輩良い人すぎでした。これが一番笑えたかな