3.11から1年半が経ちました
 おれが初めて原発についてやんわりとでも考えたのは恥ずかしいことに実はハトのおよめさんの何巻かで「原子力発電所がこの地帯の海辺に開設されるらしいから村の動物たちが騒ぐ」っていう話を読んでからで(原発云々自体は全然メインテーマではない話だったんですが)、いやでも、今や原発ってたとえ何かあっても99.999%くらいの確率で大丈夫なんだろ」と、てか近隣に住んでるとなんか恩恵あるんだろう、じゃあこいつらなに騒いでんだろうって疑問に思ってからでした。平成生まれの人間でさえ原子力発電について、予備知識がない状態だと安全を信じきっていたのに、じゃあそれよりも前から生きている人に根付いている原発神話の力強さってどうなんだろうと、事故があって色々調べてから思いました。あるいはそこには政府とか大企業に対する意味のわからない信頼もあったのかもしれませんが… でもティーンエイジが終わるこのタイミングでマジョリティへの、不信感とはいわないまでも懐疑心を抱けたというのは悪くない経験だったと思います。というより、3.11にまつわることで少しでもポジティブになろうとするならば、その点くらいしか評価できるところがないんですけど…
 人間どこまでいこうが自分主体で、自分が善い行いをするからといって、人もそうするという前提を立ちがちだけど、実はそういうわけでは全くないのだ、と認めざるを得ないのは、やはり悲しいことだとも思いますが…
 今、韓国での反日運動に関してのあれこれが流行っていますが(国内での問題があるときは国外をクローズアップする傾向が強いのはいうまでもないですが)、その問題について、やはり韓国内での教育が良くないのだろうという意見をいくつか見ます。戦後の韓国が歴史の授業で偏った言い方をずっとしてきたならば、あれから60年70年が経過して、今殆どの韓国人がそういった知識を前提にしてしまっている、ということは、事実ありうる話だと思います。かといって彼らにそういったパラダイムのレベルでのモラルがないとまで言ってしまうと、それは人のことは言えないんじゃないかなぁと感じるのは、やはり利益のために嘘を強行するという点では、日本も原発問題についてずっとそうしてきていて、さらには今も尚続けているからだろうと考えています。
 歴史的にみれば、これでも少しずつ全体にモラルの行き届いた世界になりつつはあったんですが、その進行が今ここにきて怪しくなっています。とにかく少しでも多くの人が正しい歴史を学んで、21世紀とは世界の成長という点ではどのような役割を持つべきなのか、という観点から、様々な問題を見られれば良いのだろうな、というのが、激動する社会をみながらおれが思うことだったりします。
 P.S 選挙をどこに入れればいいのか、ということに関して、入れるところが全くないと嘆く人が本当に多いですが、それについては一昨日だかの東京新聞でポジティブな記事を読みました。内容自体はありきたりで、簡単にいえば「諦めた時点でゲームオーバー」だそうですが、しかしその通りで、どんな状態でも手持ちのカードから勝っていくしかないですね。あるいはポーカーならカードチェンジもできますが… 政治に至っては新しいカードを生み出すことも可能です。何にせよ努力次第と、こういう当たり前のことをきちんとスペース取って伝えてくれる東京新聞は本当によく出来た会社だと今更ながら思いました