26日の正午、うちの愛犬が、脳梗塞によりこの世を去りました。それについて、半日が経った今なお、色々と考えています。というより、これからもこのまま、考え続けるんだと思います。しかし、それだといけないので、一応、決別の分かり易い形として、明後日から国外に出て、彼の死んだ地へと向かい、本格的に心を整理することにしました。ただ、学期の真っ只中、自分にも日常があるので、週末には戻ってくる手はずです。
 倒れたのは25日の昼でした。はじめは打身や癲癇かと思ったのですが、向こうの日本人のお医者様に診てもらったところ、脳梗塞であると判明して、それからは家の中での母の付きっ切りの看護だったようです。点滴と注射で、血栓を解かす作業です。その日の晩が峠といわれました。
 生まれて初めて、一晩中神に祈りました。その最中に、どうしてよりによってうちのが、と、そればかり考えていました。ずっと健康そのものだったのに、何故か、と考えていました。そして、そう考えていると、いつだって誰かの上に不幸の爆弾が落ちていて、それが今回はうちの家族だった、という事実だけが、脳裏をよぎりました。
 夜中にお医者様がいらっしゃって、治療を施すと、痙攣が治まり、落ち着き出したということで、父からひとまず安心という連絡がきました。それでひどく落ち着いて、安心したということで、シャワーを浴びて仮眠を取りました。眠る前に、引っ越す前の家のことを強く思い出しました。おれが彼と暮らしていたのは、前の家が最も長かったからです。
 26日の午後、自室にいると、姉に声をかけられて、どうかしたのかと訊く前に、居間から妹の号泣が聞こえて、それで全てを察しました。
 いつだって誰かの上に不幸の爆弾が落ちていて、と考えたことを思い出しました。
 今回はそれが自分の家族に振り落とされたのだと。

 自分が中学一年の冬に飼いはじめた犬ですから、7歳と8ヶ月の命でした。このブログにもちょくちょく載せていた、凛々しい顔の雄のパピヨンです。パピヨンの寿命は12〜15歳といわれています。およそ半分しか生きられませんでした。まさに美人薄命です。
 彼は、おれが自分と対等に接して育ててきたせいか、落ち着いた年齢になる頃には、自分のことを人間と同じだと思う犬になりました。ほかの犬と遊ぶことは決してしないで、遠くから人間と同じように佇まいながら眺めることを好みました。一言で言えば、高貴な犬でした。来客があるとはしゃぎますが、基本的には落ちついた子で、おれが人には話せないような悩みを言うときも、彼はじっと見上げて話を聞いてくれていました。思えば、彼には随分と助けられてきました。
 彼の最期の様子をきいて、新たに彼を尊敬する点が生まれました。それは、彼が横たわって点滴を受けていて、彼の脳と肺の血栓が、彼の命を蝕んでいるとき、いつものあの考えの読めない大きな黒目で、犬だから多分なにも理解していなかったんでしょうが、それでも自分の命の危険を感じて、手足を必死に動かして生きようとしていたところです。本能の末でも思考の末でも何でも構いませんが、とにかく、彼は彼の生涯を、未だ生きるに値するとみなしてくれたことが、何よりの慰めになります。
 今はもう、だいぶ気分も落ち着いています。彼の死から、はやくもテーゼを見つけ出しました。偶然か否か、それとも運命なのか、非常に象徴的な出来事で、驚いているくらいです。しかし、それにしても、彼は何より、死別という物事に対する圧倒的な観念を残して去りました。人生の本質に迫ることだと思います。
 さまざまな形態(媒体)で、いくつも文章を残しておきました。落ち着いていると書いたところで所詮は錯乱しているのかもしれませんが、とにかくそういうことで、記録を残しておきます。
 <死顔も可愛いうちの犬へ送る>
 P.S そういえば、最期に、それまで押し黙っていたのが、最期の最期になって、三度だけ鳴いたそうです。何を伝えたかったのか、まったくわかりません。勝手に想像しようと思います