(あまりに適当すぎたので加筆修正をいつも以上に行いました)
★6月22日(金)の首相官邸前の大飯原発再稼動反対デモを見に行ってきました
 国会議事堂前駅の出口3で、18時から2時間のデモが毎週金曜日に行われています。今回の集まりは特に活気が見込めるとのことで、大学の帰りに見てきました。自分自身は参加はしませんでしたが、ぐるぐると官邸まわりをじっくり眺めてきました。
 開始前は比較的、おそらく在特会と思われる人々の小規模デモの声の方が強かったですが、18時を切ってからは圧倒的に反対派の声が大きくなり(それまでは無駄な言い合いを起こさないようにわざと黙っていたのが見て取れました)、また列も倍々の速度で長くなっていきました。一体どこからこんなに…というくらいに凄まじいスピードで集結していく様には驚かされました。
 今回のデモは最終的に累計4万5000人が集まったといわれています。確かに、そういわれて納得できるだけの数がいました。最後には車道も解放されたようです。
 集まりのきっかけは殆どがtwitterなどのソーシャルメディアだったといいます。テレビや新聞を含む大手のメディアがロクな報道をしなかった以上は、そういったソーシャエルメディアしか情報取得の手として残されていないわけですから、当然といえます。かくいう自分もtwitterで知りました。
 見に行った理由はたくさんあるんですが、一番はやはり、意見体の視覚化が目当てでした。もう一年以上も続く原発議論の殆どを自分はネット上でしか見ていませんが、今回の再稼動に賛成するにせよ反対するにせよ、そう意見する彼らがどういった人間なのかをこの目で見ておくことが何より重要だろうと思いました。百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、現物を自身の目で確認すると、ネット上での意見の穴というものが見えてきます。
http://hogehogesokuhou.ldblog.jp/archives/51931896.html
 「ネット上の意見」の参考物としてこのURLをおいておきます。
 見てきたことの事実をひとつ言うならば、原発推進派の人々の意見は、非常にレッテル張りと思い込みの激しいものでした。現実として動く彼らの意見の特性と性質がわかると、あるいは、現実として「動けていない」彼らの存在がわかると、結局は画面の向こうで意見を唱える彼らの実情もわかってきます。
 津田大介さんの「動員の革命」に書かれたような活動の模範的な例となる今回のデモ。その発信源となったソーシャルメディアの有用性は日に日に明らかになっていきます。ここで重要なのは、そのソーシャルメディア自体に問題はないかと、再度確認することです。そうするとやはり、ネットばかりで現実で動くことのない人々が一定数いることや、煽りだけを得意とする人々(またそれに容易に乗る人々)の存在に気付いたりします。さらにいえば、この場合は「反原発として現実に動いた」人々の中でも、ロクに事態をわからずに動いている人々や、過剰な反原発論者の存在もみえてきます。
 度合いは明らかに違えど、それでも問題を抱える両サイドを反対側の歩道から眺めるというのは、状況を象徴化するにしても出来すぎてはいますが、それでも(それゆえに?)、自分自身に思わせるものがありました。行うべしことを行った感がありました。
 今回のデモの観察は、軍産複合体の存在や、果たして本当に電力は足りていないのかということ、去年の電力不足で人が死んだこと(??)、その他諸々の議題を話す(というよりも聞く)にあたり、最も重視すべきインフラとなったように思います。
http://www.youtube.com/watch?v=dTuHOAW0DVM&sns=tw
(以下は雑記)
 しかし、この頃、視野が狭いというかピュアというか、「おれわかってるぜ」風な論者の方が、その実とてもずれていることがとても目立ってる気がします。去年企業が節電していた→何故なら電力が足りていないから、原発は必要→何故ならなければ経済が衰退するから、経済発展は必要→何故ならそれがないと自殺者がますます増えるから、etc。彼らの内のどの話も、その一点を確実な前提として論を繰り広げているというから不思議です。たとえば最後の例。原発推進のデモをしていた人々の意見にも多くありましたが、経済衰退が果たして自殺者を増やすことになるでしょうか? あるいは現在日本の自殺者が年間3万人を越えているのは今が不況だからでしょうか? もし大真面目にそんなことを言っているとしたら流石に戦慄せざるを得ないです。昨今中国に抜かれたとはいえ、GDPという国単位の収益でいえば(確かに人単位ではないですが)未だに世界トップ3の日本の自殺率が高いのはどうしてでしょうか。逆の言い方をすれば、日本よりもよっぽど貧しい国の自殺率が日本よりも圧倒的に低かったりするのは何故でしょうか。自殺が経済のせいで起こるというのなら、そのふたつの事実は成り立ちません。少し考えればわかること、というより、考えなくともわかることです。ではどうして彼らが盲目的に自殺が経済のせいで起こると信じているかというと、多くの社会学者や経済学者がそう言っているからで、では何故多くの社会学者や経済学者がそういうことを言っているからというと……
 というような思考が足りていない人があまりにも多いのが、やっぱり、あらゆる問題の根幹となっているのかも…

 ↑18時少し前。猛威を奮っていた「動く」原発推進派。旗には「反原発派は日本から出て行け」(過激…)
 あとは、歴史的に考えて、政府はまあこうするんだろうな、という予測が立てられないということは、やっぱり、歴史を知らないというわけで…
 問題多しだなぁ。
 結論:やはり歴史が一番重要