☆富山妙子講演会「記憶の糸を紡ぐ 震災・戦争・女」に行ってきました
 5月12日14時から慶應義塾大学日吉キャンパスであった富山妙子さんの講演会に行ってきました。あのなんか相変わらずよくわからない建物の奥の方でひっそりと行われましたが(とはいえ150人前後はいましたが)、とても素晴らしい講演で、2時間があっという間でした。風の歌をきくとはよく言ったもので、これだなと思ったものには行ってみるべきですね。
 一応新入生歓迎のイベントの一環だったそうですが、聴衆の中に若いといえそうな人間は自分も含めて5人いるかいないかというくらいで、なんといいますか、講演の後半では何度か触れられましたが、老人が後世に何かを伝えたくても、向こうが聞く耳を持ってもらわねばどうしようもないなと思いました。こういう意識は変革できないものでしょうか
 話は雑多でありながら深みのあるものでした。根幹となった話題のひとつは神の存在でした。富山さんは軽い口調でいないと断じたのですが、それでいて自身の新作の災害の絵には初めて神様を登場させたそうです。宗教などの話まですると面倒だけれど、要は神というのは最も貧しく可哀想なものの傍にいて(神は娼婦の腐った子宮の中にいる)、そういう形でおいてだけその存在を納得することができる。あらぶる津波の上に、存在しないからこそ貧者の傍に佇む神がひとりは欲しかったんでしょう。厳密に神を描いた理由について尋ねられたとき、難しいと言いながらも芸術家の感性で「風神・雷神をおいておくのが最も合うと思った」と意見していましたが、本当は彼女はその前に自分で答えを言っていたんですね。
 しかし齢90に達する、それもただの御老体ではなく国外を旅してきた方の意見となると、直接拝聴するにあたり非常に貴重なものです。特にリアルで当時の記事にならない状態・風潮などは、まさしく文字の上では簡単には残せない重きがあります。語り継ぐとは簡単にいいますが、当事者が言うのと、所詮聞きかじりの自分が間接的に他者に言うのとでは、真実性も説得力も全く変わってきます。ある種の真実性はたとえ内容が一致していてもその効力において大幅に変化することが多々あるものなんでしょう。今がまさに「失われた世代」と時代をともにした人たちの直接の言葉がきける最後のタイミングになるはずです。よってこういった講演は何より自分の中での真実性を大事にしたい人にとって有用になります。知って人に伝えるためではなく、ただただ自分の中で納得するためにきくんです。そしてそれこそが純粋な真実性でしょう
 富山さんの挙げた戦争間の風潮のひとつに、差別用語が世界中で跋扈する、というものがありました。人々が経済的不安、行末の不安から他者を批判することでしか己を確立できないことの弊害です。2012年現在をみると状況が全く同じであることに気付かされます。移民排除・他民族批判を叫び安易なナショナリズムを叫ぶ人間が猛威を奮っています。橋下然り、フランス大統領戦で三位にまでなったル・ペン然りです。批判が当然であるかのような風潮があります。そして未曾有の大不況です。歴史的に考えると我々の行き着くところは戦争しかないでしょう。
 あるいは安易なレッテル貼りもそうです。富山さんは今でも同業者には「あの左翼のババアか」と笑われることが多いそうです。カテゴライズしないと済まない人種もいるわけです。差別「用語」というのも要はパターン化です。差別するに飽き足らず、どこでも用語としての位置づけまでが必ずセットでついてきていたそうです。決め付けや偏見は狭量な思考しか生みませんし、狭量な思考では所詮その程度の案しか呼べません。争いを煽るものにしかならないものです
 富山さんは時代を生きて俯瞰してくる中で、日本人の無責任さについて憤慨していました。何より、戦争と今回の3.11が重ねて見えて恐怖もしていました。たとえば、(これは富山さんの話に限らず俺が両親からきいた話ともちょうど重なるのですが)、ドイツの人々は今でもナチスのしたことを恥じています。少なくともワン・ジェネレーション前は確実にそうでした。今二十歳になるくらいの子どもが両親に「何をして生きてきたの?」ときくと、みんながみんな「我々がしでかしてしまったことの尻拭いだよ」と答える国が日本の同盟国でした。こういった点で日本との対照性が浮き彫りになっています。富山さんは、責任を曖昧にして逃げたのが日本だと言い切りました。勝ち目がないのに強行した戦争で、科学の進歩した現代だというのにも関わらず配色濃厚の終盤にはカミカゼがなんだとか神話的なことを叫び無残に散って、残った兵隊は戦死どころか餓死、残留孤児は60歳にもなり、強制連行した兵隊に報いもせず、東京裁判で全てを終わらせた気になってバブルを経験し、アメリカの州ひとつ分くらいしかない地震大国でトラウマのはずの原子力発言所を50基もおいて、その結果爆発して放射線が飛び散って、また誰もこれといった責任を取らずに有耶無耶にしていく、一連の流れが戦争当時と本質的に何も変わらないと言った後に、淡々と「どうしてこうなっちゃったのか…」とつぶやかれました。まだほんの子供だった20年代にワクワクするような「自由の風」を感じたその行末がこれか、という無念が感じられました。
 俺は日本の、というより現代のマスメディアについてはもうあきらめきっています。それについては何度か書きました。主要メディアの殆どが自分に都合の良いこと以外は載せません。富山さんも公立学校では講演はさせてもらってはいないようですし(右翼が怖いから、だそうです)、NHKには追い出されたり、新聞でも美術欄ではなく社説欄に載せられるそうです。困った時代です。何より、これだけ返しの上手い聡明なおばあちゃんの目からしても、現代に希望が見出せないというのは非常に恐ろしい事実です(相当濁した口調でしたが、20年代にあったような希望の風は感じられないそうです。何より、現にこういったイベントにお年寄りしか集まらないその場の事実が富山さんの言葉を重くしていました)。そして俺自身、若い人たちが活気に溢れているかというと、全くそんな風には思えません。
 しかし、富山さんの話の中で最も印象的だった「老いていくというのは溜めていくことではなく捨てていくこと。葉を散らし花を枯らせ種を撒いていくということ。何もない状態というのは奇麗なものですね。老いは円満になってニコニコしているのではなく寧ろ怒ることで、腰がすわってくるんですね。生活の心配もいらず、昔よりもずっとラディカルです。こんな年ですし右翼も怖くありません。死ぬまで戦うつもりです」という節には、中々勇気付けられました。年配の方々にそう考えていただけるならば心強い限りですが…、しかし最終的には若い世代がどうにかするしかない問題です。
 質疑応答には感心させられるものが多かったです。当然のことですが一世紀前と今とではジェンダーのあり方が全く違っていて、中でも特に感動させられたのは「(富山さんの)お母さんが裁縫なんかしないで絵を描けと言われてたというのは、当時の母親たちは男に生意気言うなといわれ殴られるのすら普通だった中で、娘たちにはこうあってほしいという、女から女への世代が移り変わる中でのメッセージを感じました」という感想でした。男女平等という言葉が生まれるまでの壮絶な歴史には舌を巻きます。ウーマン・リヴからはじまった歴史ですね
 http://lib-arts.hc.keio.ac.jp/news/20120512.pdf
 (新作の絵画を載せたかったのですがネットにあるかと思いきや見つからず)
 神のいない世界。そしてこの壊れた原発が残る世界で、僕ら生きていかねばならないのだなぁと思うと、思うところが多々ありますね
 しかし良い講演でした。絵画の方は15日まで飾ってあるそうです。津波の絵の神様と浮き出るリモコンは迫力がありました(富山さんはこれだけ写真技術の発達した時代に写実主義はナンセンスだと思っているそうです。原発の絵も写真を見て、あとはイメージして描いたとか)。興味ある方は行ってみたら良いと思います