雑記です

 こう、文学というのは一応、いつの時代も風刺の中で生きてきたものだと思いますが、個人性から社会性まで広い幅があって、本当に名作として語られてきたものはどちらかというと明らかに後者のスケール、つまり社会問題が由々しい時に創られたもので、今こうして日常が死と隣り合わせていることが浮き彫りになっている瞬間、どんな小説家も小説家の卵も、ざわざわした感覚の中で毎日を生きているんだろうと思います。むしろ現状に違和感がない人がいたらそんな人たちは、まぁ、ジャンル問わずクリエイター志望として元々が駄目なんでしょう。どこかで大切なものを欠損してしまって、気付いていない。目に見えないものの恐怖がわからない以上は単なるピースになる他ないと思うと悲しくなります。月並みな言い方をすれば歯車。「アーティストっていうのは、人より敏感に世の中に吹いている風を感じとることで成立っている」。誰かのせりふですね。 △なんかあほみたいな書き始めだな。すげぇ頭悪そう。まぁいいや。 △テレビをつけてみるとクイズ番組がやっていたりして、「脱原発なんてほざいているのは単なる売国奴の左翼連中ですよぉ」とか発言しちゃうニンゲンの形をした何かが所属しているチームの早稲田大卒業とかいう女の人が「ルイ16世が処刑されたのは名誉革命である」というつっこみどころ満載(この際国はともかくそもそも処刑してたら名誉と名付けられないことくらい気付け)のサービス○×問題というよりむしろ煽り問題を「わからないよぉ」と言いながら焦っているのを見て無性に悲しくなった。そしてその次の男の芸人かなにかが「初代天皇卑弥呼である」というもはや煽りですらない、この問題を考えた人間の顔が見てみたいくらいの意味不明な出題に○とか書いて間違っていたのを見ていよいよこの国は以下略とか思っていた。なにいっ天皇とかいうレベルじゃねえ。皇室のSPはこいつをさらし首にしていい  ちなみに早稲田大卒業の方は29-3ができていなかった。私立文系おそろしい。30⇒29⇒□⇒21⇒14の□が埋められなかったんだっけか。日本史選択の早稲田文学部だろうなと予想してみる どうだろう いや 名誉革命フランス革命もどちらも知らない人間が文学部はありえないか。スポーツ科学部とか。そんなかな。
 受験科目なんて瑣末なものを見ても逐一思うのは、表面的に必要なものだけを追い求めすぎる合理主義に、気付かないうちに逆に自らを拘束していた、ということが、もうそこらに転がっているんだろうということ。数学的思考は必ず必要です。日を追うごとにそうなんだろうと思いました。合理性ではなく理性と論理を記号化したもので整理していく思考体系は十代のうちに築いていた方が、どうにもよさそうだ、とか。記号化を離れたら現代文になるんだけど。でもあれはノイズが混じっているから本当に純粋な論理ではないし…  △こうしてみるとますます自分の教師の考えにそまっていくような気がする。いや、というよりも、本当に必要なものはなんだったのか、ということを考えたときに、当然のように行き着く場所なのかもしれない。だからこそネイティブアメリカンの言葉がとことん深いわけだ
 話をがらっと変えます。
 ちょっと前に気まぐれに書いていた小説とも雑文とも取れない不思議な投稿があったと思うんですが、あれがなんなのかの説明は野暮、というより言った時点で意義が瓦解してしまうものなので言いませんが、とにかく小説ではないです。小説と冠するのに必要なものが足りていないので… そして何より小説というには全くもって不必要な、場違いなことばかり詰めていて、もう、なんなんだろうな、あれは。 内部的なこと以外でそれに関して話を付け加えてみると、…完全に手癖だけで書いていました。一応頭の中で起承転結ともなんともいえない展開は出来ていたんですが、それに沿わせようという気持ちを持ちつつ、かといってタイピングに詰まらない速度で、もちろん推敲なんてするわけもなく書いた、つまりはオナニー話。 でももしかしたら小説にしてみるのもいいかもしれないとぼんやり思うようになってきて、それで書くのをやめました。ネタとして弱すぎるので、どうにも自分のブログの中くらいでしか生きていけなさそうだから、書いたとしてもどこか外の世界に放ることはないものになりそうですが、まとまった時間が取れるようになったら、ちょっと手をつけてみようと思っています。…もしかしたら自分のブログの中ですら生きていけないかもしれないですが、そうしたらその他大勢と同じくテキストファイルになってデータの海に眠ってもらいます。 しかし自分で書いていて、成りきれない舞城みたいな文体だなぁと笑っていました。無意識で書いているとどんな気分かわかりやすくていいですね。そして今ちょっと見直すとどうにも歪だ。でも生み出してしまった以上はきっちりやり直す必要がある
 小説の話って普段はあまりしたくないんですけど上でもしているし(厳密には小説じゃないんだけどって言うのくどいな)今はなんとなくしてもいい気分なので書きますと、高一のときにファンタジーを書いてみようと思って、家族旅行をキャンセルするまでの気合で家でひとりでぐわーっと書いたものが、あるレーベルで最終選考になっていたんですが、評価シートとかいうものに、とにかく優しい言葉で「ひとりよがり」って書いてあって、それですげーなんていうかすげーあれな感じな気持ちな感じに、って、さっきから感じって漢字、でもないな、語感で貫こうとした、言いなおす、感じって言葉、使いすぎ。 ペンネームばれ、とか、するわけないんでちょっとしたあらすじを書くと、まぁ、よくあるアリスの模倣をしていました。主人公、うさぎ、違う世界、みたいな。なんかアリスみたいなヒロイン役がどうしても必要なのにアリスがいなくなってしまったからアリスみたいなやつを人間界からつれてくるのよ! とかになって、そうしたらふたり連れてきてしまって、仕方ないから競わせて、みたいな。そんなかんじだ。今も昔も大好き、群像劇でやろうとした。それがよくなかったのかもしれない。普通に一人称でいっていた方が少なくとも読みやすかったんだろうな  △しかしなぜアリスか、というのも、さぁ書こういざ書こうと思ったときに、よく考えてみると自分がファンタジーというものをまったく知らないことに気付かされて、(なんで書こうと思ったんだろう)、(でも書きたいものができてから書くよりか、自分でジャンルを決めちゃってから考えるほうがいい時もあるといえばあるかも)、記憶をぐいぐいたどっていったら、結局不思議の国のアリスくらいしかないな、となったからです。ルイスキャロル好きです △でも3年経って思うとあれは落ちても当然の駄作だった。……いや、全体的なレベルの低さをみると当然というほどではないにせよ、いや、佳作で5万くらい寄越せとか下品なこと言えなくもない出来にはして送ったと思うんですが(あれ?)、まぁ、自分でも気付かないおかしなところがあったんだろうな。でも応募するときにQ&Aを見てAの答え方がものすごいムカつく感じだったから、こんな編集こっちから願い下げだぜ、とか、…………全く思ってなかったよ……。 △しかし真面目な話高校生で変に賞とか取っちゃうと大変だろうな。そこそこには書いていかなきゃいけないんだろうしな。学生考慮とか、ないかぁ。 △他に賞といえば小学生のときに星新一ショートショートのぶっちゃけパクリみたいな短編を出して市の何かになったな。あれなんだったんだろう。当事者が一番よくわかってなかった。しかしなんにしても乏しい応募暦じゃ…… △どうでもいいけどうちの英語の教師は、なんとなく書いた都市が停電するという小説で群像の最終選考に残ったらしい。教え子に「またその自慢話ですか」と言われたのに対し、最終選考程度を自慢げに話すなんて発想すらでなかった、と返していたけど、いや、仰る通り。賞を取ったらまぁまぁ、取らなきゃ屑。なんとなくで応募するにせよ、当然そういう意識を持って送った方がよさそうだ
 大学入ったら書いている暇ってあまりなさそうな気もしてくる。とにかく思考体系を確立、インプット、そっちの方が重要な時期なんだろうとは、うすうす感じる。相変わらず言語化したら貧相な言葉だけど。 しかしそれまでに身体的危険がないとは限らないという常識が必要以上に濃いのが怖いところ。 そんなかんじ