日記50

『おなかがいたいです』

 火曜日に母が帰国するようです。そういうわけでその日は予備校は早く撤退するのでお土産は渡せないです。ていうかもう渡さない! これは誰にも渡さない!!>読んだらたぶん自分のことだとわかる人へ。 メールするほどのことではない、ようなものはこうして適当なところに書く。まあ、見ても見なくてもおっけー、的な。
 この一週間はぼーっとしていました。しなきゃいけないことも大してせず。ごろごろして本とか読んでました。結構多種多様の。落ち着いたら読もうと思っていた新書群にちょくちょく手が伸びます。順序逆ですねえ。半ニート脱出してから読むべきなのに。
 今後の予定を絡めて少し。 どうにも社会がおかしいです。誰しもがわかっていることだと思いますが。この期に及んで総理大臣が原発推進というのはどう考えてもおかしいです。小学生だってわかります。もう取り返しのつかないところまで来ているんですが、突き進んでいます。 △今年も締めの時季に入ってきましたが、はやくも今年を振り返ってみて思ったことは、自分の予期する力の至らなさというものでした。正直を言うと甘かったです。いくら国が虚言で人を殺そうとしていようが、本当にまずい状況になれば、金よりも利権よりも命の方だ大事だということを理解している正常な大人たちが台頭して、ギリギリのところで踏みとどまることができる程度には、まだ腐りきっていない国だと思っていました。だから日本に残っていたわけですが…どうやら甘かったようです。 △1割くらいの可能性で、とりあえず国外に逃げて受験勉強をする、という手が今になって出てきました。俺がもっときちんと社会を見ていたらずっと前にそうしていたと思うんですが。でもこっちのルートはなんだかんだで起こり得なさそうです。母が帰国して話し合わないことには何ともいえないんですが。もうひとつ現実的なのは、とりあえず今の受験勉強に適した環境で、この先5ヶ月の間に水蒸気爆発が起こったりなんてしないことを願いながら日本で過ごして、いざ合格ができたら速攻で留学手続きを済ませて逃亡するというもの。こっちはまぁまぁ現実的です。留学推奨の大学ならば1年時からなんとかできると思うんですが… 何にせよ今年の受験を殺さないことにははじまりません。

『あたまがいたいです』

 なんとなく写真。中目黒の某ハンバーガー店。馴染みの病院に行った帰りに寄ってひとりでくつろいでいました。バーガーが上手いのもあるんですが、何より雰囲気が好きです。日本の飲食店ってどこでもとにかく丁寧で、もちろんそれもいいんですが、たまには海外みたいにちょっと雑に扱われもしたいもので、そういうときにここにいきます。…と書くと接客の悪い店だと思われるかもしれませんが、ちょっと素っ気無いくらいですよ。別に悪いわけではないです。 まあ、気を使われないほうが気が楽だよね、って感じ。だろうか。 あと写ってないけどコーヒーカップが好き。

 こっちは今日行った渋谷のイタリー。前々から機会があったら行こうかと言っていたところだけど、味はぶっちゃけると微妙だった。何より紅茶がまじぃ。そして別段安いわけでもない。まぁたぶんもう一生行かないだろうなーって感じ。 パスタもピザも中目黒の行きつけ以上のところに出会ったことはなんてないです。中目黒最強ですね。 今日も中目黒出ればよかったなぁ
 ちなみに画像は何かのミルフィーユ。見た目ばかり凝って味はそんなでもない典型ドルチェ。

『まんがとかあにめとか』

 ジョジョリオンの4話を読みました。とうとう8部主人公のスタンドが出現。えらくカッコイイ登場の仕方です。ムーディブルースにしか見えないのは放っておいて。えらくカッコイイ登場の仕方です。「しィ―――――………『ソフト』……&『ウェット』」。これも鉱物は一切関係ないですね。ジョニィのタスクはまだ硬い感じがありましたがこれは本当に関係ないです。能力はシャボン玉が触れて割れたら、そこから何かを奪うというもの。随分主人公らしくないなぁと思いましたがよく考えてみるとジョルノの方が変な能力だったので、これもまたその内に馴染むんだろうなと思います。 △そんなことよりギャグが異常に面白い。シュールすぎる。おまんじゅうか何かのときもそうでしたけど、4話は特にやばい。能書きがやたらに長いメニューのデザート屋さんはやばい。全部最終的に幸せが訪れているのが。何描いてんだよ先生…。 △とてもうれしいのが、実にジョジョらしい奇妙な展開なところ。唐突に何かが起こって、それから状況に説明がつくんですが、それまでの過程が奇妙すぎて全く理解できないのがとにかくジョジョらしい。不可解な唐突に本当に魅力がある。4話でいえば女の子がバスタブに浸かっていくシーンとか。こういう展開を上手く描けるのは荒木先生を置いて他にいないと思います。 △ジョジョリオンとは関係ないですが、恥知らずのパープルヘイズはあと30ページくらいで読み終わります。読んだら何か書きます。

ウルトラジャンプ 2011年 10月号 [雑誌]

ウルトラジャンプ 2011年 10月号 [雑誌]

 少女不十分を読みました。買うまいと思っていたのに買ってしまい読むまいと思っていたのに読んでしまいました。なんていうか、言うことのない出来です。『言うことなし!』ではなく。言うことのない出来でした。あまりに酷くて。でも単に酷いというだけなのも酷いので一応何か書きます。
 西尾維新といいますと覆面作家というほどではないにせよあまり素性を明かすタイプの人ではないですし、ついったーやらブログやらもやっていないので、基本的に日々の雑念を人に聞かせることはしませんから、そういうものが極限まで溜まってしまうとこうなるのかなと思いました。それが第一感想です。 △いつもの西尾節というものもありません。波乱万丈な展開でもないです。一行でまとめられる程度の話を、くどいとか下手とかいう以前に、単純に小説と銘打った地の文に入れるわけにはいかないことを大量に突っ込んで出来た超薄いカルピス小説です。自伝と小説の狭間にあるのに、そのどちらの良さを活かすでもなく、そのどちらの良さを殺しきってしまった中途半端な本です。本当に正直に、何が面白いのかが全くわかりません。ので、本来は見ないレビューというもので、高い評価を下しているものをいくつか見てみました。ご丁寧に長いレビューを書かれてますが、結局なにがよかったのかがぼんやりとしていてよくわかりません。明確に書いているにしても、たとえばこの程度のストーリーに惹かれたらしいのはそれはもう次元の違う人なので気にしませんけど、そのほかの、心理描写に唸った〜とか、展開が秀逸〜とか、真面目に言っているのか?…… もしも良いと言うところがあるとするならば、西尾の作品を追ってきた人が、その作品に一貫していたテーマを明かすシーンに、この小説の外の庭で感動するくらいじゃないか、つまり半小説であり半自伝であるこの本の、自伝の側に心動かされるんじゃないか、くらいに想像していたんですが、まさか小説の側で"唸る"なんて…… 本当に今までこの人のエンターテインメントを読んでいたのだろうか不思議なところです。(もちろんのことですけど、西尾が"これは小説ではない"と書いていようがなんだろうが、小説のレーベルで出している以上は、誰がなんと言おうが小説です。本当に当然のことですが) △とはいえ"西尾維新というネームバリューがなければ酷評だっただろう"という批判もお門違いに思えます。「この本を書くのに10年かかった」と西尾自身が言っているように、さらにはこの本全体で西尾が書きたかったのが、明らかに、小説家になるまでの自分と、なってからの自分が世に出した小説について、また自分の小説に対する価値観だけだということを鑑みると、『大御所として熟してきた西尾自身が自分のファンに向けて書いた』というシチュエーションの外では到底生きられない本だから、そもそも西尾維新という名前の下で刊行する他は仮定的にでも言えないだろうと思います。ラストの方のファンサービスの文をごっそり変えて、小説家暦もすっかり変えて、さらには西尾以外の人が書いても不自然ではない主人公に変えて、くらいにしないと仮定としての置換すらきかないでしょうし、当然そうしてしまうと全くの別物になってしまいます。
 では西尾作品を読んできた人として、西尾の小説に対する姿勢を知って感動しなかったのかというと、少なくともこういう形では何とも思いません。そもそも著者が自分の作品に対しどういうメッセージを込めているかということを明白に言及することはスマートではないと思っていることを置いておいて、もっと特別な舞台、当然インタビューのように愚直に即物的なものでない、他の上手い媒介で伝えられていたら、受ける印象は違ったかもしれません。ただこういう大切な話は、奇才と謳われる作家がこんな中途半端な形で顕していいものではないと、それだけは確かに思います。
 で、一応少女不十分に対する全体的な評価はそんな感じで、ほかにいくつかあまり関係のないこと。 △結局小説家になるために必要なピースはなんだったんだろう。斜め読みが過ぎたのか忘れてしまった。ていうか書いてあったっけ。答え。なかったような気がする。あったらゴメンナサイ。 △柿本先生=西尾先生、は確実にありえないんでしょうけど、実際に西尾維新が作家になるまでの前後に、なにか本人にとっての大きなターニングポイントとなることがあったのは事実でしょう。小説家は現実に体験したことを一度自分のブラックボックスに入れて、そうして出来上がった話を文章にしていく人種だと思っていますが(たった今は、そういうものだと思っています。2年くらい前からこういう捉え方です。いつか変わるかもしれません)、その西尾維新自身が体験したことを本人なりに解釈して虚構にすると、可哀想な少女に監禁されていたことになるんでしょう。そういう意味では西尾維新の精神は、柿本先生が作中で取っていたような異常な行動と思想のように、どこか部分的には歪なものなんだろうと思います。
少女不十分 (講談社ノベルス)

少女不十分 (講談社ノベルス)

 あにめとか。日常が終わってしまいました。何か卒なくしめてきましたけど、てっきり最後はギャグで締めるんだと思ってました。意外でありまた残念。あらゐけいいち先生本人がほのぼの系に漫画をシフトさせていくとかになるとさらに最悪ですけど、まぁ、それはないな。 △カイジももう終わりですね。一条さんはお疲れ様でした。和也編長いですけどそのうち帰ってくるんですかねぇ。金ヅルだった班長さんも今や無一文だし、あがりようがないよなぁ。 △シュタゲの感想って書いたんだっけ。書いてなかった気がする。いつかまとめて書こうと思っていた気がする。でもまた今度でいいや。今度っていつだ。いつだろう。今後永久にシュタゲのことについて書く機会なんてない気がする。と書いて気が付いた。劇場版があるじゃないか。あれで何かあったらまぁそのときということで。 △タイバニは実はまだ見ていない。最終話ひとつ前のAパートくらいで止まっている気がする。どうせ終わり方はわかっているしなぁと思うと、ついつい時間を他の映像に回してしまう。いつか。いつか観ます。