日記31

『きのうのはなし』

 昨日は久々に、遊んだー、って感じで遊んできました。4時ごろから新宿で。新宿は寄りやすくていいですね。ゲームしたりなんなりして飯食ってゲームしたりなんなりして解散したらずいぶん遅くなって家に帰ったら1時ちょい過ぎとかで笑えねえ。今日にもがっつり影響してきました。笑えねえ。笑えない。です。
 飯はいいトンカツでした。最近ちょっと粗食が過ぎたのか反動でいいウナギとかいいトンカツとか食べたいナーという気分だったのでうまい具合に消化できたように思います。しかし特に人のことを気にせずに食べ進んでいたらひとりだけ物凄くスピードが遅いことに気付きました。オレというと明らかに食べるのは早い部類の人間だったように思いますが、翌々考えてみると、とにかく早い→人と食べるときだけはあわせる(ひとりの時はやはり早い)→ひとりのときも人と食べるときもゆっくりめになる→人の進度を気にせずゆっくり食べる、と段々と逆転していった軌跡があるように思います。早く食べるととにかく胃もたれが酷くなってからのスローペースは些か極端なものまである気がします。少し気をつけようと思いました。あとトンカツとか特にそうですが、ご飯の代わりにキャベツでほぼ完璧に代用がききますよね…というより、きくようになりました。何故かは知らない。食に関することは無意識の内にぐいぐい変わっていきます。キノコもいつの間にか食べられるようになってましたし… そのうちとうとう餡かけとかも食べられるようになっちゃったりするんでしょうか
 いやだなーと思う 子供の片鱗そのものだよな 苦手なものがあるというのは。苦手な食べ物のひとつやふたつは残しておくべきだよ

『がんだむ』

 NEXTちょっとやってました。画質悪くて驚いた。ユニコーン使いました。久しぶりで面白かったです。NEXTのユニコーンはやはり非の打ち所のないいい機体ですよね。もちろんオレの好みに対し。あのNT-Dが好きで好きで。コンボも一度もミスらないという事実。指後後指後後横一段N3段CSはやっぱり爽快。サブで切ってコンボしにきたやつをまた指で取りなんとか特格のカット不可能なところまで持っていくと満足して死ねます。EXVSのがずっと作り込みはすごいしアクションもハデなんですが、やはり重要なのは使っていて面白いかどうかなんですよね。特にスルメ的に機能するそれかどうかという面が。
 ビームマシンガンの事故当たりとか好きだった。生時下格の奇妙な強さとかも。正直言ってまたやりたい  あとキュベレイ強すぎてびっくりした。やっぱこのプレッシャーは良い
 EXVSはスポランの固定。30は運命、25はケルか黒本で。運命はあまり乗らなかったし勝てもしなかった。そんなに悪い感じでもなかったけどどうにも駄目だったのは相手がギスだったからということにします(しかしひとりもギスに乗れない組み合わせだったことを考えるとやっぱりある程度時間あったときに人並み程度には乗れるよう練習しておけばよかったと後悔します)。ケルとか黒本はまぁまぁ。ケルはようやく振り向きピストルとか安定してきて、覚醒のときも格闘CSのおかげでプレッシャー作れるようになった気がします。使用感覚に関してはやっぱりお手軽機体。黒本はやはりそこらにいる黒本だから特に書けることない。なんか天井が知れている機体な気がしてきた
 身内戦(?)ではせっかくだから普段は使わない機体を。ダブルオー⇒ちょっと前は使ってましたが。特に問題なし。V2⇒大分前は普通に使っていましたが。特に問題なし。下格が活きる相手ではなかったのが残念。ストフリ⇒やっぱ下手…でもそう悲観するほどではなかったようにも感じた。練習するのも一考か。マスター⇒やっぱ下手…でもそう悲観するほどでもなかったようにも感じた。メインがどこでヒットするかがよくわからなかった。Nサブ落としまくったのはもったいなかったなぁ。ZZ⇒一度も格闘CSあたらなくて面白かった。代わりに覚醒BD格でわからん殺しをすることで解決。300or350が好きに出せるのは楽しい。あれを強気でやりたいがために基本的に半覚はします。射撃CSとか特射とかはよくわからない。脱いですぐ格闘あてにいきたがる様子をリプレイで見ているとそういう性質なんだなぁと思わされます
 どうでもいい話。vsシリーズはこれまで大体全部の機体使ってやってきたんですが、だからこそ自分の作るランクのようなものもそこそこ納得しながら作れたんですが、今作はとにかく偏っているので意見とか求められても主観に寄りすぎていてうまく返せないです。それはたぶん他の人にも言えて、基本的に何かを一択する人には総じて全体のバランスは見えていないものだと思います。結局ガチ戦に投入できるのは2,3機の現状、オレも自分で考えていて主観から抜けている気なんて全くしません。どうしても運命視点で話が進みます(とにかくザクが嫌。ストフリやギス主体の人からすると違うんでしょうが)。
 共有が強いられる話題においては客観性がないとどうしても安く見えがちなものです

『ざつねんとつまらないおはなし』

 おれ以外の人もまさしくそうです。まさに語れば語るほどチープになる。機も何も知らない。脈絡も何もない
 少なくともおれは人に何かを指図することはできない。年齢的にもそうでありはするんだろうがきっと三十路を超えてもそうだろう。使命の果たし方や気構えについてなんて何もいえない。文章の書き方に至っては到底。たとえ(本当にたとえ)技量があっても教えようとは決して思わないだろうし、もし教えるにしてもできるなら高橋源一郎のように詩の方を教えてみたいと思うことだろう。一切の機能性がない方を
 最低限相手がどのように食事をするかくらいのことは知っておかねばその人については何も知らないというのと同義です 何も知らないのにできる話なんてない
 教科書に載っていないことは須らく自ら気付かなきゃいけないしそういうことに一切気付かず人に教えを請うことは精神的に乞食です。ひとりの人間がすることだとは思えない。奇妙にすら思わないで何か悲しくなります
 まずは自己完結の大切さを知ろう