女という字を突破する。

 たまに普通の生活に戻ろうと(たしか少し前は少しの間ふつうの生活をしていた)早い時間に無理矢理寝ようとするも失敗しかなくて、今夜もそうでした。小さく響くガンズ・アンド・ローゼスと、数冊の文庫本が闇に消えていきました。得たもの? 自己満足と二三語の新しい語彙じゃないですかね。でもそれ以外に何か必要ですかね
 と、語彙の話とかできなくはないんだろうが今したら死ぬ 明日のおれが
 余りに短いのも難だから字についての話だけ少ししておきます。おれは字が好きです。書くのも見るのも好きなんじゃないでしょうか。字への執着は字を覚えたてのときに周りにいた大人がみんな字がうまかったのが原因でしょう。特に両親の書く崩し字はかなり好きです。まあ、どちらかというと父のは気障っぽすぎる気もしますが(しかも走り書きとなるとマジで父以外の誰も読めません)、母の字体は素晴らしいです
 美学が真の美に通じる場面があるとすれば、字を書くという行為は最も反映させやすい位置にあるように思います。手本の字を真似し続ければ自然と上手くもなります。しかし綺麗な字だからといってそれが素晴らしい字であることには直結しません。素晴らしい字というのはおれの気に入る字と言い換えても差し支えありません。所詮主観ですから。たとえばおれは漱石の字が大好きですが、見ればわかると思いますがそんなに美しいかどうかといわれるとそうはいえません。しかし漱石の角張らない柔らかい自体は非常に好きです。おれとは対極の字にあります
 自分の字の変化の経緯は見ていると面白いです。日記なんかぱらぱらめくっていると、今とは大分違うどころか、(そこに優劣はなく)、書き方のぐいぐい変わっているのが、それが指先から生まれているものだと意識すればするほど、実に奇異に思えてきます。おれの自覚しない影響がいくつもあったのでしょう。最近はまた字の変化を感じます。略しようがすごくなって、特にごんべんなんかここ一年まともに書いちゃいません。どう見ても数字の1です。それと平仮名は下手になりました。二年くらい前にもものすごく下手になった時期があって、そのときはかなり必死に直しましたが、今は少々だるいです。「な」とか見ていてうわっとなりますね。「ま」もだめです。「り」だけは前よりはマシかなといった感じですか
 また文字について自覚するのは、なぜか勝手に繋げることが増えたことでしょうか。たとえば「−ン」と書くときなど、3度に1度は横棒とンの左上の点が同化します。横棒を書いている最中に既にンに取り掛かっている錯覚をしているのでしょうか。こういうのってほかの人にもあるのかどうか気になります
 あと字は全然関係ないですが、今見ている画面がめちゃくちゃに霞んで見えます。夜になると右目が乱視気味になるのはそろそろお医者さんにかかったほうがいいのでしょうか 結構不安です…
 でも病院行くのだるいなぁ ひらがなドリルやるのよりだるいよ