雑記です

 2時間くらいの酷い眠りを経験した。夏に多い感じのうだうだした睡眠です。幽霊には会いませんでした。そういえば引っ越してから一度も会ってません。もしかしたら前の家の部屋が原因で出てきていた連中だったのかもしれない。となると俺自身の何々は関係なかったということになるけど…
 幽霊といえば俺の幻覚…と言い切るにはやっぱりちょっと抵抗のある、くらいにはハッキリとした幽霊も見たことあります。前の前の家の子供部屋では押入れの隙間から白い女の人がこちらをのぞいているのをよく見ていました。楽しいときも悲しいときも平常心のときもアトランダムに出現してこちらを見ていたので、最近になって感知するようになった俺が自分で生んだ幽霊とは別の、感情の起伏から現れるような精神的な存在ではなかったんじゃないかな、と半ば気の迷いのように、今でもたまに思います(それでもやっぱり完璧に個々の精神から離脱した存在である幽霊はいないと思っているのはもはや説明する必要なし)。ちなみにその白い女の人に恐怖を感じたことは一度もなかった。ただシャイなのか押入れを開くと消えてしまうんですね。これが
 あと幽霊ではないけど、河童、見たことあります。川口君*1と。目黒区にある目黒川ではない川で。いやぁ、緑色でしたね。アイツは。まさに村長ってな風格がありました
 と、いうような嘘だろうとよく言われる話。実際にいわゆる「オカルトじみた」話をしていると辟易されるとき、そこに時代の生んだ歪みを俺は見ます。そして無性に悲しくなる。世の中が表面的には科学的であるから、あらゆる物事が現代科学で割り切れないとそこから直ぐに拒絶をしてしまう人々。なにかにつけて割り切れないものは存在するものだ、というのを理解しない頭は動いているように見えて実は凍ったままなんでしょう。多分スプーン曲げとか直に見たら死んじゃうんでしょうね。もしくはメディスンマンの治療方法を全てやらせだと決め付けて薬漬けになったり…。ネイティブアメリカンの子供たちが持つ鋭さの限りを尽くしたシンクロニシティの話も笑い飛ばし、「情報の共有のためにはtwitterしかないね!」と言ってガッツポーズをします
 実際に話してみると非科学的な体験をしたことのある人間、というのは多いものです。特におれの母親なんか四次元に行ったことがあると豪語するくらいです(まあ、四次元的な空間、てことなんでしょうが)。先生のひとりは子供の頃は好きに宇宙を飛べたと言っていました。しかしそれでも科学が主体の世界であるし、いわゆる「オカルトじみた」ことが前面に出ることはありません。時代の意志なんでしょうが、それがただの集団自殺にしか見えないこともあります。それも一酸化炭素中毒という現象を知らないで七輪を囲っていたらうっかり死んでしまったパターン、みたいな
 科学非科学の狭間だけでなく、絶対にこうでしかありえないし、説明できないのなら存在しないと同義だ、と断ずる料簡の狭い考えが壊すものの大きさには努々留意するべし。それはもうあらゆることに対して。思想に対しての排他性だけは許されたものではありません
 人類が忘れたことを思い出すために祈れ。という格言がただ胸に響きます
 っつってもおれが変なラスタファリズムをとなえている人間というわけでもなく。前述したように中間を取れといっている。それも曖昧なのではなく間に立って思考の末の末でようやく選択をする中庸こそ大切だと、そう思います。
 あー 眠くならんなあ。困ったなあ 明日は大変なんだが

*1:意味のない注釈だけど…。小学校低学年の頃によく遊んでいた子。秋田出身で事あるごとに秋田に帰りたいと言っていた。卒業と一緒に秋田に帰れたらしい。よかったね! ちなみに俺が今でもたまにして遊んでいるパントマイムじみた首の動かし方はこの子のお父さんに教わった