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(雑記です)
 この二、三日は沈殿していました。風邪のこともあり。暗い中で獣の戯れに触れたり、どこからか流れるマイケル・ジャクソンの歌声にひっそりと聞き耳を立てていたり。明日からまた外に出ます。別段進展はないように思いますが。
 中々高評価を下さない人間は批判的な人間なのではなく単に理想が高いだけです。そしてそれは悪いことではない
 この数年は小説を書くよりもふと思いついたことや、または何処にでも転がっていそうな小石のようなものを拾って逐一報告するようなことの方が楽しくて、それがそれならそういうものかと思っているのですが、恥ずかしいことに同時にスランプという言葉が脳を過ります。正直を言うとスランプという言葉はある程度の結果を継続的に出した人間だけが言い訳に使って良い単語だと思っているので、アマチュアが集まるコミュニティサイトで(それがどういうジャンルであれ)「スランプです」という発言を見かけても、そりゃ単に具合が悪いだけか、もしくは今まで自分が好きでやっていてこの道に向いていると勝手に思い込んでいたことが実は向いていなかったと此処に来て露見したというだけのことだから、「なにを勘違いしているのだろう」と哂いすらしない域にある可哀想な小話なのですが、かのようなわけで別におれは腐ってもスランプとはいいません。というより、いいたくありません。
 ただかといってぼんやりと何か他に見るべき道はないのかと考えることが悪いこととも考えません(壁にあたり固執するのではなく他の場所を向きなおしているのだから)。答えが無いのは明白なんですが。
 我欲ばかりの人には先ず献身的な職業は不可能だろう。献身的な自分が好きになれる人なら例外だろうけど。
 話は変わり。家の中を掃除していると、どうしても掃除という行為を抽象化して別の物事に当てはめてしまいます。掃除というと、たまった埃を掃く行為。でもそもそも埃をたまらせないなら、それに越したことはないのではないか。基本的には綺麗好きなので、叫喚のようなものを聞きたくない性分なんですが、それも事前に防げるならそれに越したことはないわけです。でも人間というのはおれも含め愚かなもので(例外というほど少なくも無い数でそうでない人間もごろごろいる以上はこんな画一化は許されないのですが)、自ら破滅に向っていようが気付かなかったり、あるいは気付いているのに気付いていないふりをして目を瞑っていたり、そうして最後に地雷を踏んで自爆することの、なんと多いことなんでしょうか。それを防ぐには博愛主義で且つ非刹那主義者のまわりの人間が、聡い言動でやさしく止めるしかありません。所詮いわれないと気付きませんから。愚かな人間って
 だからおれが他に半ば暴力的といっていいほど強力な潔癖物を探している、と繋げるに支障ないです。それが掃除機でないのは前述したとおり。別段「例外」でない俺もまた誰かによって思考矯正されたがっているのかもしれません
 また夜が更けるのを待ちます