カテゴリ:エッセイ。『十八年間、そのいち』

 「人生で一度っきり」。「これを逃したら後はない」。こういった言葉に俺ほど弱い人間は他にいるだろうか。と疑問に思えるほどに俺はラストチャンスという言葉に振り回される人間であるので、人生において最後であるという物事には特に敏感でいて、看過を許さず、覚悟して過ごしたいものだ、とは常常思っているのである。というわけで、もう子供時代も最後なのだろうと思うと振り返らなければならない気がしてならなくなってきた。さて、18歳っていったらブックオフでひとりでゲームを売れる年だし、遠慮なくアダルトサイトに入れる年だし、クレジットカードを作れる年だし、結婚詐欺の痛手も味わえる年だし、深夜徘徊も勝手にしろと言われる年で、もう今までとはあからさまに自由度が違う年齢となる(酒と煙草も18からでいい気がする)。そして自由とは責任を伴うものであって、それは世間的には大人が持つべきものと言われる。名実の両方とは言わないが、とりあえず名だけはそういうことになる。ここではおれの18年間を簡単に文字にあらわすことで、記憶の整理と分離による記録を図ろうと思う。
 思えば塞ぎこんだ(俺にとっては良い意味ももつのだが)18年間だった。9歳くらいまではモラルのないアホなガキだったのは他の人間とさして変わらんのだろうが、以降の小学校生活からは急に「きりーつ! れい! これから、いちじかんめのべんきょーを、はじめます!」「はじめます!(復唱)」「ちゃくせき!」とかやっているのがこの上なくアホらしく感じてきて、親に不登校を宣言し、家で母親に年に合った本をもらって読むか社宅の広い庭でサッカーしているかの二択だった。よく隣の家のおばさんに「今日学校休みなの?」と訊かれた覚えがある。「ううん僕が休みなの」って安直な返事に顔を顰めていたのはうちの親の放任主義に対してかもしれんが、ではそのおばさんは学校とは何ゆえ存在するものと定義しているのだろうか。もし学校というものは学術を卓越させるだけの場所であると仮定したならば、俺の行動はプラスにもマイナスにも働いて、結果イーブンだった。つまり、本に埋もれていたせいで初の全国模試で国語の偏差値だけが70に届く一方で算数は模試で0点を取るレベルであり、これはマズイと思ったらしい母親に塾に連れて行かれた時には2教科偏差値50でギリギリ入塾できたという詐欺紛いのことをしたということである(はじめての授業のときに算数の先生に「どうして入れたの?」って言われたのはよく覚えている)。結局、その埋め合わせで小学校6年生のときは算数しかしてなかった。引きこもれなくて受験が辛かった。そう、あのときは受験辛かったんだな、確か(今は…)。最後の方は何とか目を背けたくなるような偏差値帯からは脱せたのだが、代わりに国語が少し下がっていたような気がする。単純な読解力じゃ解けない問題を「んじゃ解かねーよバーカ」って投げてたら先生に凄く怒られた記憶まである。そして「これだけ勉強したんだから受かるだろ」と気楽に試験を受けに行った2月の頭だったが、蓋を開けてみれば合格を確信していた第一志望校がまさかの不合格で(受験番号1番だったのに合格発表の板に載っていたのは8番からだったという哀しさ)(俺が受けた列全滅かよ…)、それ以降の記憶があまりなく(2月3日は誕生日なんだが、そのせいで俺は12歳の誕生日の記憶がない)、あとから聞いた話によると4日間だか5日間だかは布団から出てこなかったとかで、「受験シーズンが終わっちゃう!」と叫ぶ母親があわてて手続きした2月7日の名前も聞いたことのない私立の試験を受けに行き合格をもらい、そこへ入学することになる。12歳ナメてんのかってくらい簡単な問題にいらついて、今までの俺の受験生活を馬鹿にされたような気分になり不貞腐れて、まさか入学試験で寝るとは自分でもびっくり。「7日目に試験やっている学校って相当だろ大丈夫か」といぶかしんでいたが、まあ見てくれは綺麗だし別にいいかと思って入学してから直ぐに、その安直な考えは間違いだったということに気付かされるのだった――。と、小学生時代の話はここで終わるので、その前に何かひとつ小話を書いておこうと思うのだが(内世界と受験だけで光の速さで終わるのもなんなので)、そうだな、学校には行ってなかったものの友達とは定期的に遊んでいた俺は、担任教師のじと目を他所に卒業式後の近所の庭園での打ち上げに参加をした、という話。普通に談笑している中、話がもつれて恒例の「好きな女子」の話になり、非受験組の子たちは同じ市立中学校に進学することになっていたので、同窓会でもしない限りは基本的にはもう会うことのない受験組の男子が発表をさせられることになった。つまりこれからも付き合う仲の友達には好きな子なんて言いたくないから、もう会わないお前ら言えよ、というわけである。とはいえ俺はたまに男子と遊ぶくらいだったから女子のことなどそもそも誰がクラスメイトなのかすら言えない状態だったので、仕方ないから場が冷めるかもしれないと危惧しながらもその旨を伝えたら、「じゃあ丁度いいからあの子に告白をしてこい」と言われた。「じゃあ」の意味がまったくわからないのでそう言うと、「受験組だし今まで学校に来てなかったから印象薄いし、打ち上げでテンションあがっている女子に好きだっていったらどうなるのかみたいし。好きなやついないんなら好きだっていえるだろ? 行ってこいよ」という意見が満場一致で返ってきた。好きなやついないんなら好きだっていえるだろ? って、一見通ってそうな道理だけれど実はまったく通っていないし、そして何より、好きな女子がいるほかの受験組の男の子に告白させればよいのではと思ったのだが、場に流された俺はカックンカックンと怪しい歩き方をしながら指示された女子に近づき、「話がある」と言った。浮ついた声の「ハナシガアル」はひょっとすると外国語飛んで外星語のように聞き取りにくく響いたかもしれないが、遅れて返ってきたその子の返事は同意を示すものだったので、俺はその子を連れて、打ち上げの建物の庭へ移動をした。立派な池のある公園なので、せっかくだからその前に移動してみると、草木と石のぼんやりとした自然の中にくっきりと浮き立つその子のことが妙に綺麗に見えて、すると不思議なことに今までも覆っていたであろう「うわぁ…いやだなぁぁ……」オーラもが何より綺麗に透けて見えてきた。俺はなんだか急に申し訳なく思えてきたので、「ちょっと時間を潰してくれればそれでいい」という旨を伝えると、続けて「罰ゲームで負けちゃって」と嘘をついた。察しのいいその子、仮にTさんとすると、Tさんは「そう」と一言だけ言って笑うと、「男子ってホント男子ね」と言った。こんなことを言い出した男子連中と、それに乗せられてしまった自分を思い浮かべながら、全くそのとおりだと俺は思った。その時のTさんの挙動ひとつひとつから、俺のような汚ねェ雄豚から身の程知らずな告白を受けなくてよかったと安心しているオーラが滲み出ていた。そしてTさんは「とりあえず害のある豚ではないようね」と気を許したのか結構色々なことを話してくれた。受験組だったTさんは今まさにこの俺(大学受験を試みている俺)が第一志望としている学校の中等部に進学するらしいとか、受験が終わったからまたバレーに専念ができるわとか、大体そのような話だ。嘘をついていなければバレーをやっているらしいTさんは、俺のような豚と対面するときもきちんとした背筋で話をしてくれた。「どうして学校に来ないの?」とは訊かれると思っていたらやはり訊かれたが、別段面白い答えも用意していなかったので、「あまり好きじゃないし本を読んでいる方が楽しい」というと、Tさんは読書家でもあったらしくて、少しロアルド・ダール談に花が咲き、最後は互いにハリー・ポッターの続きが楽しみねという言葉で切り上げて、Tさんの方が先に戻っていった。俺はひとりで少し池を眺めていた後、時間差で会場内に戻ると「どうだった!?」と喚く男子に囲まれたので、「『ていうかあなただれ?』って言われて気まずかった。10分もお互い沈黙していたね」という話をしたら妙にウケた。……そんな話。これはそこそこ綺麗なお話として思い出に残っているので、万が一今年第一の大学に合格して、そこに居合わせたTさんを見かけるようなことになっても、そそくさと逃げようと思う。まあ、思い出は綺麗なままにね。
 さてその合格をした中学校だが、友達には恵まれたものの(しかし身も蓋もないことを言うと、友達っていうのは存外どこででもできるものであって、今いる友達に感謝するのは当然であるにしても、それ以外の誰かさんはありえなかった、とする排他的な考えは料簡が狭いものと思う)、その中学校が持つシステムというシステムが俺が受け付けられる限界を超えているものだったので、結局中学1年生の1学期を4分の3通ったくらいで、あとの中学3年間は気が向いた日に行くだけにした(週に2日くらい? 中3のときは週3日くらいは行っていたかもしれない)。勉強は本物の進学校が聞いたら笑ってしまうくらい簡単だったせいで特筆すべき問題もなく、この引きこもり中学校生活を使って、受験勉強のせいでご法度となっていた、夜に月明かりだけで本を読むという自己陶酔行為に、小学生の時よりもいっそう肩までどっぷりと浸かった。これは今になって確信するが、完全なまでに正解な道だったように思う。この時学校に通っていたら、間違いなく今の俺の思考体系は存在しなかったとまでいえる。ついでに使用を許可されたパソコンでいらぬ知識をつけてしまったりもしたが、これは正解だったかはわからない。ただこちらも今の俺の何らかの部分を構成しているものではあるはずなので、否定をすることはできない。どんなんかっていうと、まあルイズ萌えーとかそんなんだ。いや。あんね、ルイズはまじめに可愛かったわけだよ当時は。本当に可愛かったの。思い出補正。今もまぁまぁ悪くないくらいには思うけど、当時の心が燃立つような萌えはもう感じられない。あれはなんだろう。ルイズがどうこう、というよりも、そういう世界に対して変に浮かれていたのかもしれない。そうすると、今おれが時たま感じる萌えという感情は萌えではなく、"萌えに近い感情"に過ぎないのかもしれない(ひょっとすると俺一人が、というよりも時期的に考えて俺の世代全体が萌えという感情に対し麻痺を感じてしまっているのかもしれないとも思っている)。もしくは性欲が強かったというのもあるのかもしれない。または単純にそういう世界に免疫がなかったから過剰に萌えてただけだろうと一蹴もできるが、そんな面白くない意見で切り捨てたくはない自らの中学時代への情。中学生っていうのはとかく安定していないというのは、過ぎてからだと四則計算よりも簡単に理解できるものだ。まあ、そういう負の方はおいておいて、本の話をするとティム・オブライエンの「世界のすべての七月」に影響されて、内世界だけに篭るのもよくないかもしれないと急に思い立ち、変に青春しようとした覚えもあるが、結局途中で家で布団に包まって妄想している方が楽しいことに気付き沈静化した。何故かひとりで山に行こうとした事実は隠したままにしよう(学校行事の山登りは当然のように行かなかったのに…)。あとは何より太宰治との出会いか。今でも思うが、本当に太宰だけは神の域に達している。というわけで酷く心動かされた俺は全集を何回か読み返しながら、まあ中学生らしくすぐに影響されてよくわからないものを書き出すのだが、しかし小説というのは経験+自らの感性であるので、感性しかない時点で完成などは到底望めず、高校生にあがって「経験が必要だわ」と理解するまでは無駄な悪戦苦闘を繰り返すことになる(逆にいえばそう気付いてからは小説はそこまで書いていない。少し書けても駄作でうんざりするだけなので削除を繰り返し、今は思ったことをメモしているだけ。俺の規定するところの「大人」になったらまた経験と感性を磨いて、万事はそれからだろう)。読書してそのことについて思案することは俺にとっての世界なのだが、それ以外の、つまり外界、実生活の方はどうだったかというと相変わらず週休5日制を嗜んでおり、たまに学校に行った日は帰りにゲーセンか、もしくは制服で学校を出て駅のトイレで私服に着替えてからマックに入りゲーセンが開くまで時間を待つ、とかそんな不良染みたことをしていた。後者はひとりでゲーセンに行っていたとき、前者はゲーセンに行く仲間ができたときか。ゲーセンの知り合いができてから放課後のためにむしろ学校に行きだすというよくわからない感じ。ちなみにゲーセンとの出会いは戦場の絆だった。確か稼動初日に友達に連れて行かれた。ガンダムなんてザクの存在すら知らなかった俺が急にあんなポッドなんかに入れられて色々見てたら興奮もするもので、順番待ちの絆に「煩わしい!」と踵を返し、鼻息を荒くしながら「これもがんだむみたいだし似たようなもんだろ」とVSシリーズに手を出して以降、今も尚関係が続いているという。まあ運命みたいなものです。何か気付いたらやってたんだよね。初めて使った機体まで覚えているよ。確かアカツキシラヌイ。金ぴかカッコイイと思っていた。クワトロと同じセンス。友達はよくわからないままにノワールを選択して、お互いが一度ずつ落ちたら終わりという状況に首を傾げつつ連コとかしていた。懐かしい。という完全な脱線。こういう話はまたガンダム史(?)に書こう(一応ちょっとだけ続きを書くと、このあとその友達はライトユーザー属性だったことが判明して、どうやらヘビーユーザー属性であった俺はひとりで着実に練習を積んで、以降渋谷の野良と化し、学校の友達の友達がプレイしていることを知るまでは一人でやり続けることになる)。本の話に戻すと、あとは何処から手に入れたのか団鬼六の官能小説もよく読んでいた。また例のごとく影響を受け、2chのエロパロ板とかにたまに投下までしていたと思う。今じゃ出来ないね。これはやっておいてよかったことかもしれん。今でも(確か)倉庫に残っていてビクビク。こっちの方面からまさかのサークル参加にまで至り、よくわからない内からコミケに放り投げられる経験もしたりしたが、これもレアな経験な上、今では到底できないことである。ただこのころは文字の醸し出すエロスには興味を持っていて、そういった関連のものは割と読み漁っていたのだが、しかし一般の小説にもセックスに関することは平然と出てくるし、下手したら普通に描写とかしてくるから、官能作品とそれ以外との明確な線引きは当時の俺には難しかった(今ではさすがにわかるし、同時に当時の自分の目を疑う)。俺にとっての本は父の書斎にあるものだったから、あまりジャンルというものがよくわからなかったのだ(何より最近はカテゴリーエラーな小説も目立つ気がする)。自慰も芸術的に書いたら文学作品ですか? ヴィタ・セクスアリスは文学の域だろうけれど。つまり何が言いたいかというと、エロスが目的だったのじゃなくて、あくまでそれを媒介とした文学的快感を得るために鬼六を読んでいたのよ本当よ。っつってもSMとかは記憶にないんだが。短編とか多かった気がする。あとは性云々に関する本なら、小説ではないけど吉行淳之介の恋愛論とかじっくり読んでいたか。文字からだけとか悲しい生活だけど。この時期はとにかくインプットの速度とジャンルがむちゃくちゃだったせいで、アウトプットするときも文体がバラバラになって、そもそも作品として成り立ってなかった。つまり何が書きたいの? みたいな。しかしボディーブローを打たれたような衝撃は太宰で一発、三島で一発喰らったくらいで、それ以降は沈静化していった。名前を聞いたらにこっとするような作家は多いけど、なんとなく「好きな作家」というものは消えていった。作家は作家で、好きになるのはその作品だ。全部の作品を気に入らせる作家はなかなかいない。ちなみに外国人作家をまったく手に取らなくなった。実はスティーブン・キングもまだ読んでないという恐ろしさ。最後に読んだのはドン・ウィンズロウの犬の力だと思う。これは好き嫌い以前の本の方面に進みたい人間としての前提だからそのうち読み始めるとは思うんだが。というわけで家では恐ろしいくらい静かに時を過ごし、外に出ると耳が壊れるか否かというくらいに五月蝿い場所で笑って過ごし、3年間を終えた。
 そんな感じでした。俺の中学時代の生活って。もっと細かに何があったとかも書けることは書けるんだが、あくまでダイジェストなので。振り返るための。個別ネタは別にまたそのうち思い出して書こうと思う。そしてこれ以降は高校の話になるが、こそは誕生日前日におそらく書くであろう日記に続く。
 ちなみにアメリカ時代は幼すぎてあまり記憶がないので(というのは実はうそで、本当は明確な記憶もいくつか残ってはいるんだが、この日記の主題に合わないので)、伏せておこうと思う。