あれかこれか。

 文学部にいったらなんだかんだで哲学科に進んでしまいそうな自分が怖い。なぜなら哲学科に進んだものはまともな就職ができないからである(というのは哲学科の先人に嫌というほど教え込まされた)。つまりは就職したい、というよりも選択肢として就職という道がある状態で常にいたいという、右に倣え的な思考が未だおれにはあるらしい。でも哲学はしたい。だってくだらないこと大好きなんだもん。自身の知恵だけで探るのではなく、世間一般的な哲学とは何かを知るには大学でその学科に進むのが一番いいんだろうが、それで満たされるのは自尊心と好奇心だけだというのに、ただ代償とする俗世的な観念、つまりは生き延びる上では必要でもある観念、を引き換えにするほどの意味はあるのだろうかと、やはり迷わされる。同居への手はやはり法学部に進んで、文学部の授業に潜るというものくらいか。それができたらいいんだがなあ。
 と、いうのが昨日考えていたような内容で、やはり勉学はしませんでした。えっへん。
 何かいい会社に就職しなきゃいけないって考え方は単純でむかつきますよね。「どうして受験勉強しているの?」って訊いて「いい大学行って就職したいから」とか言ってしまう高校生は可愛げがない、というよりむしろ哀れでもある。というよりむしろもう死んでいるみたいな人間だよそれは。どこで植えつけられたんだそういう考えは。「女の子にモテたいから」の方が1000倍自然だわ。別にキミ就職なんかしなくても生きてはいけるんだぜ。公園とかでも寝泊りはある程度可能だよ。栄養だって収入なくてもある程度採れはするね。本当に就職したいのかと問いただしたい。多分ギターをかっこよく弾くロックスターの方がどっちかっていうとなりたいだろうし、それ以外にもなりたいのあるんなら、親の言うことも教師の言うことも全部聞かないで、もうちょっと山のほうか何か向いて叫ぶとかしたらどうかなと思う。まあ確かにそんなことしてたら女の子にはモテないだろうけどさ。ただ想像力のある未来を想起する力ってもっと別にあるような気がしてならない。少なくともコンクリートに埋もれた世界にあるものではないように思う