途中経過

あ、あ、あ、あ頭おかしくなる、るるる

 正常な思考をするための羽休め、発散という名目で本を読んだり吉良吉影のフィギュアいじったり映画を観たりゲームをしたりする時間もないというのに、でも正常な思考にならないと作業進まないし、みたいな、じゃあそういう回復まで含めて必要な時間全部入れたら、正味時間足りてないんじゃね、詰めるとかそういうのも意味ないんじゃね、みたいな回路で巡る思考。 困ってるんですよ、とかそういうことを此処に書き込んでいる時間があるなら作業進めろよ、とか言われても、でもこれだって精神の休息に必要な行為のひとつなんだよ!! って、そこに正当性はきちんと存在しているのか? ぼくに本当に必要な行為ってなんだ? 大学のことを度外視すれば、1日の内10分を食事に10分を風呂に10分を排泄に3時間を睡眠に使えば、あとの21時間半は問題なく作業を進めるのに使えるんじゃないの、いや、もう食事1分でいいし風呂入らなくていいし排泄も30秒にすれば、睡眠もレム睡眠一巡するだけの1時間半にすればあとの22時間28分30秒はずーーーーっとタイピングする行いだけで済むし、だったら残り10日で230時間強も使えることになるしだったら時間足りてるじゃねぇぇぇの??? みたいなことを言い出すのはフェアか? アンフェアか? いや無理だよそんなの、と僕は本当に言えるのか? 試したこともないくせに
 とここまで2分で書き終わったのはやっぱり最近の不健全なハタチの時の過ごし方で指がタイピングに再度慣れ始めたのが原因でしょう。厨房の頃のよーだ。
 君なんかことあるごとに厨房の頃を懐古するじゃないか? だったら今がまさにそうで、喜ばしいんじゃないか? まあ、確かにそうだ。喜ばしいはずです。でも実際は全く喜ばしくない。ぼくは外で何も考えずに運動したりすることも欲してる。ならば非常に解りやすい帰結でやっぱり僕の感性は変容したという判断に至ります。いつも人には僕は何も変わってないよとか言うくせに。そう口にして信じたいだけだったようだ。 しかし たかが6,7年で案外と変わるものですね 残念なような残念でないような っていうのは嘘で、確固として残念だ  ぼくは残念だよ     人を変えるのはなんだ? 王太郎読んでハードボイルド読んで泣ける映画観る×100してセックスして、とかそんな程度の行為の積み重ねが人を変えるのか? どうにもわからないな無理矢理考えようとすると脳みそが凍りそうになるぞ

 でも本当は鬱葱としていくことの理由はわかっている。中学生の時の自分が持っていて 今のぼくが持っていないことを非常によく理解している。まあ目を背けるという行為が指し示していることは明らかだ。いつからか僕は自分自身を見失っていたそれだけなのだ 昔は自分しか見ることがなかったから見失いようがなかっただけで、少しいろんな人と関わってみたりするだけで目を配っていただけで、遊園地での三歳児のように気付いたらふらふらと消えてしまう自分をそのままロストして迷子の子のお報せセンターの場所もわかってない 方向音痴だから  世の方向音痴どもをずっと馬鹿にしていたくせにいざ自分がなってしまったから恥を恐れてそれを指摘しないでいるだけなのだ
 やっぱりすんごい簡単な話だった


 勝負に出るなら配られたカードでやるしかないらしい。役がブタだからと最小限の支払で勝負に出ないという択を潰すなら、ぼくは自分のチェンジターンにカードをめくる瞬間には、自分の意志が介在しない瞬間には、やはり頭上の神に祈るしかないのでしょう。それが役目であり責務だ
 ここでまたひとつ問題が生じる   勝負に出ることに正当性はあるのか?  って、何がしたいんだろう。つまり堂々巡りの思考は終わらないわけです
 大体いまこの場の勝負に中学生の頃の自分は関係ないはずなのだ
 20分ほど死んで、また再開します