中篇 建前で笑っても食べ物は美味しくならない話

『グッドレディ/アナザーラック』
(1)
 生まれてから19回目の誕生日が来て私が抱いたのは「とうとう来てしまったか」という食らい感想で、それは目覚めた瞬間のベッドの上の覚醒したての頭でしかと感じたことだから全く間違いない。私はそのまま掛け布団に包まってぼんやりと天井を眺めているのに50時間くらい費やしたい気持ちに襲われるがそうもいかないので仕方なく起きる。起きて洗面台に向かって自分の引きつった顔を見て暗い気持ちをまた深くする。ああ、とうとう19歳になってしまった。私は頭を抱えたくなった。11月27日。中途半端な日が誕生日なものだ。たいがい寒いし。のろわれてしまえ11月27日。私は起き掛けからすっかり気分が沈んでいて歯を磨く元気も無い。
 が、食欲はあるので服を着替えてちゃんと帽子も被って部屋を出て食堂に向かう。道中で何人かのおめでたい下級生たちとすれ違った。年頃を推察するに彼女たちはあと数年はこの宿舎でのんびりぽやぽや過ごしていけるのだろう。なんとも羨ましい限りだ。本当の本当に。あまりに羨ましいのでじっと睨んでいたら髪をお下げにしためがねの女の子がこちらを見てびくっとして走り去っていったので私は自分の眼力に自信を持つ(付かなくていい自信だけ増えていく)。
 途中でエリーザ教諭ともすれ違う。気付かないフリを試みたが向こうが笑顔で近づいてきやがりまして「あら、バルドーさん。ごきげんよう。本日は卒業試験ですね。ぜひがんばってらしてね」などというので心底腹が立ちながらもハハハいや全くと笑って対応する。この婆さんは私が去年どうしてわざと卒業試験を落としたかの察しも付いていないのだろうか。あるいは私が本当に実力不足で試験を落としたとでも思っているのか。どちらにせよムカつくが。
 魔術影響学なんてノータリンのための学問を教えている教師の相手などは適当に済まして早足で食堂に着いた私はまわりの同級生がこちらを見てそわそわしていることに気付いて居心地が悪くなる。出来るだけ人気の少ないところに座ってオムレツとソーセージとトーストと大量のサラダを取ってここの旨い食事も最後か…と考えて少ししんみりする。食べながら私は暫し学校での9年間を思い返した。高い高いステンドガラスからは弱い一筋の光が降りているだけだった。
 太陽の位置が悪い。
 ☆
 魔女学校は知られている限り一校、つまり我が母校であるサンタニア魔女学校しか存在しておらず、ここでは魔法の才があると認められた者が最低10歳の時より入学できる。そして大抵の魔女は7年次で授業過程を修了し自身の興味のある分野を独自に学んで、そうしているうちに迎える18歳の誕生日に卒業試験を受け、そこで魔女に足る実力有りと判断された場合に資格をもらい、学校を出て行く。正確には希少な魔女は世界貢献の義務ありとされ魔法が必要だと思われる枯渇地帯に居住しろという命令が下りそこで暫くの間は暮らすことになる。馬鹿素直で大真面目な顔でこの世は善意で出来上がっているのよとでも歌っていそうな純心な小さな魔女っ娘たちははやく一丁前になって何処かに派遣されて人々の役に立ってきゃーきゃー騒がれることを待ち遠しく感じているというから私には全くもう信じられた話ではない。
 さてここで重要なのは卒業試験に合格しなかった者だが、実は翌年に再試が受けられる。が、それも1回限りで、もし19歳の卒業試験でも落ちた者は見込みなしとされ資格無しに故郷に帰らねばならない。とはいえである。そもそもの話、試験に受からない者などはあまりいないのだ。どんなに落ちぶれている魔女でも何年も学んでいるせいでそれなりに相応の実力は付くから卒業くらいのことはできるのである。魔術を少しでも扱える者を使わぬ手もないし。ではどういう者が落ちるのかというと――わざと試験に失敗する者、つまり私だ。ではなぜ私は故意に試験を落としたのか? 
 決まっている。宿舎を出ていきたくなかったからだ。自活しつつの外での貢献活動など、まったく冗談ではない!
「つまり延々と学生生活を送ってぐーたらしていたかったと?」
 それまで長々と私の嘆きをきいていた保険医のキアラが冷淡に言う。「当たり前だ!」私は叫びながらキアラの無駄にでかい乳に泣き付くが事態はもちろん変わらないしキアラはぞんざいに私の頭を掴んで放る。酷い。
「それを今現在勤務中の私に言うか」キアラは呆れた素振りでそう言う。
「勤務中って、ただ私の愚痴をきいているだけじゃないかぁ」机の角に頭をぶつけた私はさらなる嗚咽声で言う。
「それでも勤務中は勤務中だ。怪我人をのんびり待つのも保険医の仕事なんだよ」キアラは立ち上がっていつもの戸棚を開けた。またコーヒーを作る気なのだろう。私はキアラの陶器のような精巧な作りの横顔を見る。キアラの肌は鮮やかな褐色だ。キアラの出身地は有名なコーヒー豆の産地で村人は全員カフェイン中毒らしい。もちろんキアラもその例に漏れず初めて会った時から暇があれば黒い液体をごくごくと喉に流し込んでいた。
「なぁ、働くのってどんな感じだ?」私がそう言うとキアラの動きはぴたりと止まった。コーヒーメーカーに豆を入れる作業の途中。キアラは妙に鋭い視線で私を刺して言う。「1年半経ってようやく訊くかねぇ」今度は本当に呆れた様子だった。「だって…」と私は言うがその続きは無い。本当に今ふと疑問に思ったのだ。
 キアラと私は長らくこの学校の同級生だった。あれは確か11歳だったから、2年次の…確か魔術史の授業の時に隣り合わせてからの私の少ない友人の一人で、去年の4月に行った卒業試験(キアラの誕生日は4月1日だ。エイプリルフール。でもキアラは嘘はつかないのを信条にしているらしい)で卒業し、何とそれまで保険医を務めていた名前は忘れてしまったがナントカというお婆さん先生と入れ替わりで学校の保険医になったのである。教員には往々にしてベテランの魔女が就くために十代の卒業したての魔女が収まることはそうそうあることではなく、この就職先の結果にキアラの治癒魔法の実力の高さが伺えるというものだった。
 で、それ以来私は暇があればキアラのいる保健室に来てはくっちゃべっていたのである。さすがの私でも話す相手が殆どいないという状態は避けたかったから、知っている者がどんどん卒業し消えていく中で私が18歳の時の試験を落とそうと決断できたのはキアラが学校に在住することがわかっていたからといっても過言ではない。
「ん。…そうだな…」ごぉりごりと豆を潰しながら呟くキアラは、にやりと笑って「そう悪いものでもないよ」と言って私の心を疑わせる。「うそだろう!」と私はすかさず言うが、「いや、本当の話だ」と、キアラは沸かした湯を豆を介して入れながら言った。そういえばキアラは嘘をつかないのだった。
「まあ、私の場合、学校の保険医だから、というのはあるかな。わたしは小さい子に慕われたりするのは嫌いじゃないし。治癒魔法を行うのも好きだしな。基本的にマイペースでいていいというのもある。コーヒーも飲み放題、雑誌も読み放題だ。怪我人やお前がいない時はな」
 なるほどな、と思う。そうきくと確かに保険医というのは楽そうだ。しかしそれも高い専門的な実力があってこその職だ。私にも鼻にかける得意分野はあるが、今の教師の職を奪って代われるほどのものかというとそうではないだろう(何より、これといって授業に当てはまるものではない)。にしても…
「わ、わたしがいると迷惑かよっ」聞き捨てならないセリフがあったので私は叫ぶ。
 するとキアラは笑った。
「ああ。騒がしいしな」
 そして出来上がったコーヒーを啜る。私はむぅと黙ってキアラを見つめる。私はキアラがコーヒーを飲む姿が好きだった。毎度懲りずに実に美味しそうな、そして満足そうな顔をするからだ。そして不思議だった。あんな苦いものをミルク無しで大量に飲めるなんてキアラとキアラの地元の人たちの舌はどうかしているのだろう。
 でも今のキアラの顔はそこまで嬉しそうではなかった。どちらかというとまさに苦そうな顔をしていた。「でも、まあ」そして言う。「お前が来なくなると思うと多少残念ではあるよ」キアラは眉を細めてこちらを見た。
「キアラ…」キアラがデレた。非常に珍しい。私は少しキュンと来る。基本的に人間嫌いで腹黒であることは否めない私と渡り合ってくれる友人のデレに私は萌える。そしてやはり出ていきたくないなという思いを強くする。このまま今までの9年間のように好きにカスタマイズした寮の自室でお菓子を食べながらごろごろして無為に日々を消化したいという気持ちが私の中で強まる。そして強まるごとに私の気分を落ち込ませた。ここを追い出されて私の人生はどうなるというのだろう。というか魔女生(魔女のライセンスは人という役目を上書きするほどの効力を持つのだ。描写が足りていないかもしれないが、魔女というものはそれほど世界において希少なのである)。
 そうして私が未来のことでうんうんと唸っていると、途端にキアラは「くっくっ…」と含み笑いを始めて私は不思議に思う。「どうした?」私との別れが辛すぎて少しおかしくなったのだろうかと私は心配する。まあそれくらいショックでも不思議ではないだろう。なんせ私はキアラの数少ない友だちなのであるから!
 しかしそういう様子でもないのでいぶかしんでいる内に私はキアラの性格というものを思い出して急いでまわりの様々なことをチェックし気付く。「あ!」。よくみると時計の針はもう13時を示そうとしていた。私の卒業試験は13時からなのだ。これでは遅刻である。
「キアラ!」私は叫ぶ。「気付いてて教えてくれなかったな!!」
 キアラは冷静そうな顔をして腹の中で常に私をからかう算法を立てているような女なのだ。油断ならない奴だったのである。
「なんで私がお前の試験に気を配ってないといけないんだよ。ぼーっとしていた自分を恨め、ぐうたら娘」キアラは笑いを堪えながら言う。
 反論する時間もなく、私は慌てて魔女帽子を取って被ると保健室を飛び出した。試験場は大広間だ。走り出すと背後からキアラの声が聞こえた。
「転んで怪我しない程度に急げよー」五月蝿い。「あとから私も行って”看て”てやるからー」来なくていいよ!
 ☆
 少々の遅刻をした私は乙女のプライドを捨てて緊張で腹を下していたという設定で謝りなんとか事無しを得た。試験開始時刻を過ぎた大広間には円形を描くようにして人々が集まっていた。立会いに必要な教師は確か20人だかもう少し多めだったかは覚えていないが、とにかく見知った主要教科の教師の殆どはその場にいた。ほかの群集には用務員の人たちや試験場の雰囲気を味わいにきた試験を控えた小心者の8年生の魔女や、あるいは授業がないからか単に暇つぶしで見学に来ている下級生などが見受けられた。そしてその生徒たちの数は普通の魔女の卒業試験の時よりも多い気がするのは、やはり私が珍しく留年した魔女だからだろうか。
 さて、円の中央にはふたりの人物。私と校長である。校長は単体でみたら結構笑える鼻めがねをかけているのに態度が糞真面目だからなんとなくサマになっている老女で、灰色の髪をトップでくるりとまとめた髪型が特徴的だ。確か6年程前――私が3年次のときだ――に前任の校長と交代して就いた。堅い性格で厳し目だから私は好いていない。前のにこにこしている校長の方が好きだった。
「満場の宴=バルドー」校長が私の名を呼ぶ。外野がざわつくが、おそらく私の名前を知らなかった魔女たちのものだろう。それも仕方ない。”満場の宴”。これが私の名だ。姓はバルドー。そういえば村を出て一番はじめに驚いたのは自分が普通だと思っていた名前の様式が外ではそうではなかったことだというのを不意に思い出した。外の連中は名詞と形容詞を名前にはしないらしい。が、私は自分の名前を気に入っていた。轟々しくていいじゃないか。
「汝はE.W.226年に我れ等が学び舎に入りて魔術を学び、又本日の汝の生誕日を以って我ら汝の修了を見受けんとす。宜しいか?」この口調は校長のキャラではなく単なる定型句だ。私は肯く。すると校長も肯く。
「ではこれより卒業試験を施行します。準備は宜しいですか」
 通る声でそう言う校長の手には卒業証明書があり、そこには既に校長のラミ・ラ=テスティーフというサインが書かれていて、魔力を込められたのかキラキラと輝いている。
 卒業試験の内容は簡単。単に己の得意とする魔法を教師陣に見せて、それが形になっていればそれで終了だ。なんとも単純である。しかしそれゆえにスケルトンだ。その魔女の実力の程が一番わかりやすい。それで昨年試験に落第した私が行う魔法とは如何なるものだろうと教師も生徒も興味津々にこちらを見ている。
 で、私はこの厳かとも適当とも取れる微妙な空間にいることに対して途端に冷め始める。私の肌にひんやりとした感覚が纏い始める。一体、どうしたものだろうね。突如、私は昨夜読んだ昔の魔女の詩の一節を思い出した。「天に架かる橋の下 咎人たちがゆめみて(夢見て・酩酊て)の中 貴方は駈けて あの彼方」。私はこの俗人たちとは違う自信がある。いくら私が怠惰でもだ。私は天に架かる橋を走れるのだ。その気になれば。面倒だからしていないだけなのだ。
 そのことを示す必要があるのだろうか? この場で。
 先ほど急いで此処まで来ておいて思うのもなんだろうが、私の気持ちはふたつに割れていた。さすがの私も9年も在学していれば魔女の資格くらい取って去ろうという考えが基本で、一応今までそのつもりでいたのだが、あるいは、このまま今年も落第して資格をもらわないまま追放されて、地元に戻って妹に頼ってぐうたら暮らしを再開するのも選択肢のひとつではないかな、という気持ちも芽生えていたのだ。おそらくそんな魔女は、いや、そうなると人間は、今までにいなかっただろう。私は歴史に残る落ちこぼれとして名を残すかもしれない。でも別にそういう評判は気にしない。とはいえ惜しいのは魔法のための杖を学校に没収されてしまうことだが、それも妹に張り付く生活ならば必要なくなるだろう。
「…バルドーさん? どうかしましたか?」
 そうして私がどうしようかと考え込んで沈黙していると、校長がそう言って、それまで静まり返っていた外野の教師や生徒も再度がやつき始める。全く五月蝿い連中である。私の悩みも知らないで。それで私が「いえ、なんでもありません」と言って校長の方を見ると、その後方の外野に混ざってキアラがぴしっと長い脚で立っていて、しかし顔が珍しく心配そうになっているのを見て私は驚く。キアラの奴、何の心配をしているのだろうか。あるいは私があがっているとでも思っているのではないだろうか。だとしたら著しく心外だ。私のレヴェルはそういうものではない。
「では、はじめなさい」と校長が言う。が私は一切の配慮をしない。私は自分の選択について考えるのに忙しい。
 そして考えている内にハッと、先ほどにキアラがみせた本音について思い至る。キアラはからかったり放置をしたり笑い飛ばしたりもするがなんだかんだで常に私の怠惰を気にかけてくれていたのだ。それは私の生活力や胆力に関する気配りだったのかもしれない。私を自分がいなければどうしようもない女だと思っているのかもしれない。
 ここでどういう結果を出そうが私がここを出て行くことに代わりはない。ともあれば私はこの場を介してキアラに私がこれからキアラがいなくとも生きていくことくらいはできるのだということを証明するべきかもしれない。
 そう思って私は覚悟を決め、卒業証書を持って学校を出ることを決意し、魔術を敢行した。さて、私が今から成す魔法は授業で教わったものではない。だからなんというべきなのかは分からないが、便器上自分では「想造魔法」と呼んでいる。持っている杖を振り、頭の中にイメージを描く。それは血と手続きの魔法。代償は私の想像の質量および創造のエネルギー。魔法は簡単な図式さえ浮かべれば必要なのは虚数的に理解している世界に対するイマジネーションの精緻さで成されるのだ。呪文(この場合必要なのは自分を取り巻いている周りの物の表現)によって魔女が己を鳥瞰して場の図式を描くこと(=相手)と、自らの中に独自の創造性を芽生えさせること(=自分)、つまりは二種類のことを同時にやってのける集中力を要する。難しいとされる理由は一点そこにあるといって過言ではないが――、しかし常に相手と自分とを相対させて生きている私だ。ふたつのことを並べて遂行するだなんてのは大したことではないのだ。
「おお――」誰かの驚嘆の声がきこえる。あたりが青白くなる。私の頭の中の世界観が漏れ出して光っているのである。光子が集まって変容して、情報を持った陽子になって、私の思い通りに動いてくれる。私は目を瞑り集中して杖を操りながら、キアラのために、自分のために、そして、「凄い。ありえない――」という誰か観客のセリフにちょっと気をよくして、普段以上のものを創ることにしていた。
 この驕りが私の人生最大の誤りであった。
 ☆
 さて、全てが終わったあと、私の隣にいた校長は、いつものきりっとした態度は何処へやら、大口を開けてパクパクさせていた。私はそれを見てしてやったりな気分になった。どうだねフフフンってな具合に。しかしよく見ると周りの人々も唖然としている。キアラも思い切り驚いているので、私はどうしたことかと思う。私は今回の想造魔法で動く人形を生み出すつもりでいた。具体的には命令すれば踊り出すような小さな動物の人形を。そいつはどこにいるのだろう、と思って私はまわりを見渡す。居ない。では後ろか――? そう思って振り向こうと思った途端、後ろ髪をぐいと掴まれた。
「御髪が乱れてますよ、ご主人」
 何だか不思議な声のそいつは、思った通り私の背後にいた。しかしその風貌は全く思い通りではなかった。そいつのフォルムはどう見ても大理石、姿勢よく人型になった大理石は布をまとって、小間使いのような格好をして、何より喋っていた。どことなく猫を思わせる黒い髪形をして、そう、メイドのような格好で私の髪をみるその硬質物は、私のことをご主人と呼んで、続けて「とっとと直してください。みっともないですから」と言い放ったのである。(続)