ポッキーの日ですが別にポッキーのことはどうでもよくて、ちょっとぐだぐだと自分のことについて書きます。(追記:気付いたら日回っててポッキーの日じゃなくなってました
 タイトル:「こわい」
・この間大学のディベートの授業で面識のない女の子に露骨に避けられたから無理矢理打ち解けたあとに理由をきいてみたら「ちょっとこわいから」と言われた
・そのあとの飲みに行った子達にきいてみたら「正直こわい雰囲気醸し出している」と言われた
・いつも大学で一緒に行動している子が知り合いに「前にこわい人と歩いてたよね」と言われたらしい
・前に友だちの大学の文化祭に行って案内してもらっていたらその友だちが打ち上げで「こわい人と歩いてたね」と言われたらしい
・今日ジムで話した女の子に「正直こわい印象あったんですけど実際はそんなことないんですね」と言われた ←New!
 人間って自分がもたれている印象については上から下までのふり幅としてまぁ大体こんなものだろうというのを決めていると思うんですが、自分の場合は「どんな悪くとも気色悪いと思われてるくらいだろうな」と最低限のところを見積もっていたら、そもそも印象の種類が違ったという経験をここ最近しています。いやまさかこの人畜無害そうな丸顔でデフォルトでこわがられているとは思いも寄りませんでした。
 このことについては派生して「なぜこわがられているのか」そして「こわがられているとしてそれをなおすのか否か」というふたつの問題が生まれます。まず前者なんですが、いろいろな身の回りの人にきいてみたところ、茶を濁す意図が明らかなのも散見されましたがとにかく「わからない」が7割くらいで、3割は「体が大きいせい」「雰囲気のせい(大体の場面で仏頂面で本を読んでいるせい)」「謎のオーラがある(おとなびすぎている)」という意見に集約されていました。話をきいている感じ、「わからない」と目をそらしながら言った人たちが核心を秘めた答えを知っているのではないかという気がするんですが、一応意見があった方を順番に考えていこうと思います。んで、それは一応こわいという印象を払拭するためという方向性で考えようと思っています。つまり「なおすのか否か」という後者の問いの答えはそういうことなんですが。理由はまたあとで書く、と思います
 まず「体が大きい」。これはどうしようもないです。筋トレもやめる気はないです。がっしりした骨組みとはいえ体重は標準よりむしろ低いくらいだし、肩幅は狭くできないし、身長も低くはできないし、ほんとどうしようもないです。ちなみに175センチちょいで65キロ前後です(この身長は確かに低くはないですが高いというほど高いというかというと微妙なところだと思うんですが、見た目はもうちょっと高く見えるそうです。割と厚底のブーツも履いてますし)。体脂肪率1桁が目標なので体重はもしかしたらもっと下がるかもですがそこは筋肉を付けることでカバーしていきたいと思ってます。これ以上大きくなることはないはず。たぶん。
 次に「雰囲気」。これが難しくて詳しくきいても全貌がよくわかりません。正直その次の「オーラ」ってやつも殆ど同じものだと思うんですが(ていうか人が言っていたこととはいえ自分でこうして書くとなにかこっ恥ずかしいんですが… 明らかに無いだろオーラ)、大人びているとか言われても、まず、見た目やぱっと見がどうであれ、本に集中していないときで独りのときの自分が考えていることは大体エロスか性か女の人についてなので、既に自分の努力でフレンドリー側に近寄った雰囲気を醸し出せる気がしません。そりゃ常に哲学してるふざけた人間なら妙なオーラも出ているかもしれませんし改善の余地もあるのかもしれませんが、今以上に俗物な思考をすることは不可能です。ていうか、そもそも人の雰囲気っていうのがどこから出るのか? というのもよくわからず。それってやっぱり風貌からなのではないでしょうか。顔とか目付きとか。髪型とか服装とか。と、そこまで考えたあとに、「あれ? それってオーラってやつとは少し違くね?」と思い至ったのでさっきは雰囲気とオーラをわけた次第なんですが…
 でも顔とか目付きってそれこそ本当にどうしようもないですよね。もうそういう顔だから仕方ないですよね。髪型は近いうちに変えようと思ってますが、そもそも今が髪黒いし目とかもちゃんと出てるしでこわさの払拭という意味ではあまり変える必要性がない気もします。服装はセンスがないのは認めますが、こわいかというとそうではないような。しいていえば寒くなってからはよく着ているPSのジャケットが黒いですが、別に黒いジャケットの人なんざそこら中にいるし…? 他に身体的なところではピアスとかはしていますが片耳に軽いのをつけているくらいでこわい感じがするものではないし…
 じゃあそもそもこわい顔をしているのかっていうと、それこそあり得ないと思います。となるとオーラの話が出てくるんですが、確かに世の中にはぱっと見で「こいつやばいな」と直感させる黒い精神状況が包括的に対外に露出している人間もいるように想像できます。で、自分はそうなのか? と考えると不明。さっき書いた考えが露見しているとしたら確かに女性には凄まじく嫌われそうですが、やっぱりこわがられるかというと微妙な感じ。「読書量が多くてそれが謎の雰囲気になっている」とも言われますが、そもそも全然読めていないし、というつっこみをはおいておいて、もしそうだとしたら日本の若者の読書離れはいよいよ由々しき事態になっているといっていいと思うというつっこみもおいておいて、もしそういう関連で一種独特な類の人間になってしまっているとしたら、それはおれが本をよく読むからではなくて、現実世界よりも本の世界に意識が捉われてしまっていて、そのせいで言動やら行為やらが非現実的になってしまっているからだと思います。ゲームにのめりこんで中二病を発生させている子供とそういう面では変わりないということになるんですが、でも意識レベルではそういうことはしていないですし、これももしあたりだとしても修正のしようはなく。それにさらに派生してなにかあるとするならば、戦後日本作家の書物のせいで、そもそもの理念がこの時代のものではないから奇妙な人間にみえる、というのもあるかもしれないですが、それは自分の唯一のアイデンティティだし、そもそもこれも変えられないし、で以下同文。その点は認められるから「奇妙にみえる」(ないしはキモい)なら同意できなくもないんですが、でも「こわい」とは違いますよね
 で、考えたところ解決策は「ない」ということになりました。
 途中からスタイルが完全に雑文と化していますが、でも書いている途中で中学からの親友に「絶対に変えるな」ないしは「変えようと考え至ったことがそもそも残念」と言われたので、やはりこのままでいようと思いました。そもそも変えようと思ったのがそういう印象のせいで未だ見ぬ出会いが排除されていたら厭だな〜となんとなく思ったくらいのことなので、人にやめてくれと言われたなら、そりゃもう全然やめますよ、てな具合です。
 オチはないけどなんとなく終わります。
 P.S ひょっとして、おれが自分のことをものすごく嫌いだという態度がなんとなく外に伝わっているのかな、とも思いました。そういう意味では確かに常に怒っているので、理解できなくもないです。