なんか、夏バテかなーと思ってます。
 行動しない理由。あらゆる場面で
 運動したいけど運動するまでの過程が億劫です。運動以外のことで汗をかきたくないとか。結局家でごろごろしてます。ごろごろゲームしたりごろごろ本読んだり。ごろごろ何か観たり。ごろごろレポート書いたり試験対策したりはしない。まずいです。もう試験週間まで残すところ一週間です。つまり夏休みまで残すところ二週間。
 夏休み
 に、ついては頭の中のスケジュールは結構埋まってきました。7月の終わり頃から8月の6日に日本を出るまでは大体決まったと思います(そういえば去年も8月6日に旅行していました)。で、たぶん9月のはじめの方に帰ってきて、夏の終わりを感じながらごろごろって感じですね。たぶんね。ていうかおそらく絶対ですけど。サークルのあらゆる所用を断った結果の閉塞的夏休みが今から楽しみで仕方ないです
 二年ぶりに完全に気持ちの開放された夏になりますからね
 とはいえ高2以前にどのような夏休みを送っていたのかといっても記憶は甦らないです。日記もどうせ具体的行動についてはあまり述べていないですし参考にならない。まあたぶん本読んでごろごろ死んでいました。あとはゲームセンターに行ったりね。もう行ってないんですけどね。開発になめられまくる生活はもうまっぴらなので彼らが改心するまでは戻らぬ。といいつつガンストが少し気になったりしています。でもガンダムはやりません
 とかなんとか書いているといよいよ運動する時間もなくなるくらいにアフタヌーンが加速する
 運動、というか、俺の場合は延々と走り続けるだけなんですが、走るという行為は、最近、まさに走っている最中に考えるんですが、どうも歩くことと大差はないんだろうと。少なくともEX形になっているだけで系統が違うものではないし、その程度の違いなら壁を乗り越えるのは簡単なんじゃないかなと。そういった意味でアレの一番の敵は退屈です。退屈さえ紛れれば、基本的にいつまでも歩いていることが可能なのと同じで、基本的にはいつまでも走っていられるんだろうなぁと。でもやっぱり過度な余所見は面倒ですし気を使うことになりますし、一番適しているのは音楽ですね。でも音楽といっても有酸素運動をしているときのテンションに見合ったものでないといけないし、そういうものの中でも自分の耳に合う上にできるだけ長続きするようなものをなるたけコンスタントに発掘していかねばならないんですね。となるとそもそもの準備が面倒。過程が面倒。という話は冒頭に繋がり得る… 何も考えないのが気持ち良いときは音楽もかけずに雑音の中にいていいんですがいつまでもそうはいかないものです
 とかなんとかぐだぐだいってないで早々に仏語の出題範囲を見直すべきです
 そして皆さんはこの夏の内に舞城王太郎を読破して秋にぼくとビールの上で握手&トーク
 自分も大学生として最低限読んでおかねばならないはずの未読本を出来る限り読み終えようと思っているので、やはり、今年こそは読書の夏で。
 ☆
 読書の○○というフレーズでいうと、自分の英語教師である西きょうじ氏の新刊に簡単ながらも深みのある説が載っていました。「我が国の総理大臣は読書の秋と言って本を5冊購入なさいました。みなさんは読書の秋というくらいなら30冊は読みましょう」。
 ある程度のshouldが必要な領域もあるというか、それを読んでいないとそもそも始まらない、という次元のものがある以上は、好きか嫌いかはともかくそうしなければならないものもあるのだなぁと思います。似たような例で、それでいて現実的にためになる言い方だと、「グローバリゼーションについて反対意見等々あるだろうが、その反対意見すら英語で言わなければならないのが現状なのです」。これと同じような感じです。多読は必要なのか読書は必要なのか、個人的にマイナス的な見方をもっていようと、その意見は読書をこなしている者でしか説得力を持ち得ないということです。ちなみにこの英語に関する台詞はGoogle社会長の村上憲助さんのものです。自分にとっては友だちのお父さんといったポジションの方ですが、彼も非常に聡明です。ぼくがいうまでもないことですけど

情報以前の知的作法 踊らされるな、自ら踊れ

情報以前の知的作法 踊らされるな、自ら踊れ

 しかしこの本はどちらかというと西きょうじ氏の元教え子、くらいに近しい人でないと、納得ができないというか飲み込みがうまくいかないというか(とはいえ、何の授業であれ彼の授業を一年間通して受けてきた人には、授業中に再三触れられてきたので既に理解できていることばかりが載っていますが)、悪い言い方をすればとても胡散臭く感じる本だろうな、とは思いました。そもそも「カリスマ予備校教師」という肩書きがおそらく馴染みのない人にとっては失笑ものになり得るでしょうし(さらにいえば、そういう人がまさにこの本でいうところの息が浅く「レッテルを貼る人」であったりするのでもどかしいところですが)、そんな人が広義での社会について語るというのはお門違いというか、おとなしく本分を全うしていろと感じることもまた然りでしょう。自分自身、彼の思想は書いてあるものを読むよりも講演会などで直接聴くことの方がずっと向いているとも思います。しかしそれでもやはり、彼のスローな思考体系が、この情報社会においては必須であり、出来る限りの人がそういう考え方もあるのだということを知るべきだと思いますし、それに最も適した形態は動画配信よりも出版物として残しておくことだと思っています。
 つまり要約すると、知らない人は胡散臭く感じるかもしれないけど読んでみてもいいだろう、ということです。知っている人にはもちろん何もいいません。これはまさしく西きょうじなので。本を斜めで読むなり逆さに読むなり好きにすればいいと思います。
煙か土か食い物 (講談社文庫)

煙か土か食い物 (講談社文庫)

 舞城王太郎、是非是非ということで置いておきます。考え抜いた挙句今自分が自信をもって薦められる小説家は舞城だけだということに気付いて以来、結構しつこいくらいに推しています。ついこの間愛犬との死別を経験してから加速した考えなのですが、「死という概念をある意味超越する強さ」というか、圧倒的なエネルギーが詰まっているものこそが人生には必要なのだろうと思っています。そしてそういう意味で舞城はジ・オンリーワンと言ってもいいほどにぴったりな小説家だろうと。少なくとも自分の知る限りでは
 彼の作品は気色の違う様々な系統のものがありますが、中でも一番のお気に入りはこの『煙か土か食い物』です。デビュー作ですね。止まることのない文体とスケートの四回転半みたいな奇麗な着地で終わるスピード作品です。どの角度で見ても、やはりかっこいい。出来の良さでいうなら同位くらいの『世界は密室でできている』もおすすめですが、こちらはどちらかというとテーゼを感じる作品で、エネルギーをぐわっと感じる作品というのなら、やはり『煙か土か食い物』が最高だろうなと思います。続編に当たる『暗闇の中で子供』は敢えて薦めませんが、…とにかく『煙〜』は人に薦めたいです(『暗闇の中で子供』はテーゼをぐーーんと上げた結果、出来の良さというかまとまりについては極限まで下がっているように個人的には感じます)。
世界は密室でできている。 (講談社文庫)

世界は密室でできている。 (講談社文庫)

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

ディスコ探偵水曜日〈上〉 (新潮文庫)

 ディスコ探偵水曜日に関しては、その長さもあって薦めることは難しいのですが、個人的には大好きです。上中下でかなり性質が変わる作品なんですが、上巻はどちらかというと駆け抜ける感じで、勢いよく読めます。中巻以降は舞城思想のようなものが全面に出てきて一転していくんですが、逆にいえば、そういった意味では舞城の要素を全て詰め込んだ作品ともいえますし、さらには一番はじめに読むのも向いているといえば向いているのだろうとも感じます。何より梢かわいいという。
 ☆
 雑談の中の雑談。ゲームといえばEXVS、大尉や佐官以上とのマッチになってから8割以上のランクマ戦がフルクロクアンタギス絡みになったんですけどこれは仕様なんですか? 赤枠一択で勝ち越しているぼくを誰か褒めてほしいんですが。こっちが勝ってもせいぜい10SPくらいしか入らないのに負けると余裕で20くらいもっていかれる謎。同じ階級相手でもそうなったりしていよいよ謎です。特にフルクロギス相手に惜敗して32毟り取られるとかぐぎぎぎってなります。もうむかつくんでこっちもギス練習しようかなぁと思っています。前に使ってみたときはモデルがいなくてそこらにいる適当ギス程度にしかなれなかったので結局赤枠安定みたいな感じになってしまったんですが。自由とかも普通に強くてビキビキくるんですけどやっぱりこっちが自由使うより赤枠で頑張ったほうがマシなんですよね。ていうかもう相手のBDとか自由落下とかみてても如何にCSをぶっ刺すかという思考しかしていない。どんな機体が相手でも赤枠からみてどうかということしか言えない。なんという赤枠病
 でも総合でみて手軽さからいってもこのゲームは面白いですね。やりはじめると時間とられちゃって困ります