だいぶ前に、小説を書いていくという行為は、自分の中の経験や持論を自分というブラックボックスに通して出てきた物の組み立てだと定義していましたが、まあ、それは今の価値観でも間違いではないと思います。でもそれは形而上の話で、実際的にどういう行為かというと、小さな蓋然性のブロックをひとつ、またひとつ、またひとつとたくさん積み重ねて、最初に作ったブロックと最後に作ったブロックの蓋然性をぴったり合致させることだと思うわけです。それはオチのあるストーリーにきちんと納得のいく意味を持たせて締めるということで、内部にズレがあることは許されないわけです。簡単にいうと整合性を保ち続ける行為。つまり何が言いたいかというと、すげー神経を使うわけです。マジ大変。最大難度のテトリスみたいなものだ
 その行為の際に生じてくる具体的な問題は何かというと、どこかの時点で全体の整合性を失った時に、どの部分のブロックを修正するかということです。このブロックをなおして、あのブロックもなおして、それでも話に整合性が失われているように見えたら、もう一からやり直すほかない。でもこの時点では整合性がなく見えても、このまま続けているうちに、不思議とどこかでぴしっと合うかもしれなかったりもしれないという考えも生まれるし、現にそういったことは起こり得る。でもそれは落とし穴です。根拠もなくそう信じて続けてしまい、最後までやってからやっぱりだめでした、じゃ時間が勿体無くて爆発して死ぬわけですね。神経も持たないし。
 つまりつまり何が言いたいかというと今のぼくは禿げそうです。つるんつるんに。裁縫で針に糸を通すとかぜんぜんできない人でした。神経を集中させる行為向いてないのよ
 でもガンバリマス
 月末まで二週間ちょっとー! うおー